自分とかけ離れた言葉

自分の使う言葉と実際が離れている、と思った人はどれほどいるのだろう?

私は、武道での身体、あるいは、戦いの実際の想定から、自分の使う言葉に疑問を持った。
それは単純に「言葉=実際?」だと思ったからだ。

もちろん、思い起こせばジャズ時代からあった。
演奏の打ち合わせや作曲をして、その曲の説明等の時だ。

「その言葉はどんな実際なのか」

つまり、大きくは自分自身の持つ言葉に疑問を持ったのだ。

例えば「力を抜く」と使うが、それは単純に肉体から「力が抜けている事」なのか、あるいは、意識をも包括した身体の何かが影響しているのか?それを自分自身を、そして自分自身の行為を通して精査していった。

そうなってくると、人は何を話しているのかが分からなくなって来た。
言葉から実体が見えて来ないからだ。
「一体、何を言ってるのか?」

愚息が丁度小学4年生の時、当時の弟子たちに「小学4年生が分かる言葉で話をしろ」と、もちろん、私自身も一緒になってそれに挑戦した。
すると、言葉が簡素化され「その程度でいける」と感じたのだ。

ややこしい言葉使いは、自分自身を混乱させ身体おも混乱させる。

そんな事にも気付いていった時期だ。
34,5年前になるか。

Follow me!