稽古
運足、片側の股関節に体重を乗せる
脚の稽古は「体重を股関節に乗せる事」が主な稽古で、片足に体重を乗せ、もう片側がバランスの崩れをキッカケに移動するのが基本的な稽古だ。
これは、前進や後進、横、縦横無尽に動く元になる。
脚の形としては、前屈や猫足、四股足立ちになる。
これ等の名称は空手やそれぞれの流派、古武術それぞれによって異なる。
足、つまり運足には、道場を開いた当初から疑問を持っていたので、色々と考えた。
結果、体重を移動させる為には、一番大事な器官だと位置づけた。
相手への攻撃や距離を取るという、相手との距離を管理する為の器官という考え方は、少し後回しさせていた。
後日、ここは、例えば「肘」や「上半身の特定の部位」がリードをする、という事で一応の解決をみせた。
しかし、何かしら私の中でくすぶっていた。
閃いた事は、全て実現する
「浸透する蹴り」は即興で生まれたものだ。
だが本質的には、骨盤や胸骨を使った蹴りであり、決して蹴るという意識を持たない蹴りだ。
それが、基本的な稽古なので、そういった稽古を積み上げている中で、ふと閃いた、というものだ。
だから、とんでもない事が突然できた、というのではない。
逆に言うと、積み重ねていなければ閃きもしないということ、そして、閃いた事は全部実現できる、という事でもある。
55.6年ぶりの答え
「練習をするのが上手なのは独学だからだ」。
私は、大方の問題に対して全て一人で、自分だけで考え出すから、問題に対してのアプローチが、学校に行く事で習い慣れしている人とは違うのだ。
この閃きは、我ながら腑に落ちる。
しかし、もちろん、練習を組み立てるのが上手だと意識した事も、考えた事もない。
「そのまま」「その時に」閃いたままにやっているだけだ。
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