皆川明さんと
ミナペルフォネンを起ち上げた皆川明さんの30周年記念の催しが、代官山で行われていた。
明日迄だったので、今日慌てて会場へ云った。
皆川さんがお客さんに囲まれて話し込んでいた。
皆川さんとは2005年からお付き合いさせて貰っている。
今日、皆川さんとその30年という事、30年という蓄積はその果てしなきその先を見せてくれている、というようなお話をした。
30年という時間の中での作品は、現在から振り返った時、どんな事を気付かせてくれているのか?という質問をした。
それは、私の場合、音はその瞬間だけのもので消えてしまう、もちろん、動きもそうだ。
今の動きは、もうすでにどこにもないのだ。
しかし、皆川さんが歩んで来ている道には、作品として具体的に残っている。
それは何を話してくれているのかを知りたかったのだ。
皆川さんは、自分自身の発想のありかや、現在に通じる一貫性が見えて良かった。
というような事をおっしゃっていた。
私が会場に着き他のお客さんに混じって、皆川さんと写真を撮る為に並んでいるのを発見し、大笑いして迎えてくれた。
2005年にお知り合いになった時、デザインという事、ファッションという事、その仕事という事等々を、情熱的に話して頂いた。
もちろん、私はファッションを消費する、というか身に付けるだけしか能が無いので、初めて聴く皆川さんの話をワクワクして聴いたのを思い出す。
そしてそれは「私よりも若いのに、こんな素晴らしい人がいる」という事を、身を持って教えてくれた事になる。
また、私よりも若い人に敬語を使ったのは、皆川さんが初めてだ。
そしてもう一つ気付いた事があった。それは「素」の私では、会える事の出来ない人の一人だという事だった。
当時の私は、ウイリアム・フォーサイスのフォーサイスカンパニーに「動きや表現」を指導し始めた時だった。
だからお会いできたのだ。
つまり、「素」と「社会的な顔」という立体を人は生きており、その社会的な顔が皆川さんやフォーサイスと会えているのだ。
こんな当たり前の事を、改めて認識させてくれた。
「また、ドラムを叩くのでしょう」「はい」
夏の大阪ワークショップ8月1.2.3日北区中崎町傍島ビル
