自分と密着した言葉の発見!はワクワクする
初めて知る単語「荷重移動」。
何の本だか忘れたが、そこに記載されていた単語だ。
「体重移動」と「荷重移動」の違い、ここがもしかしたら大事なところかもしれない。
荷重移動の内容と、私のやっている体重移動の数々は、この言葉で分ける事が出来るかもしれない。
そういった単語の発見が、私自身が言葉化したい事を後押ししてくれる。
「荷重移動」は自動車の動きを説明する時に用いられていた。
直線でブレーキを踏むと自動車は止まるのだが、その止まるはタイヤが止まるだけで、極端に言えば車体は若干前のめりになる。
高速ならよく分かる。
ハンドルにぶつかりそうになるそれだ。
この現象は、私のいう体重移動と同様によく行う現象だ。
突きにしても蹴りにしてもこれだ。
動き出しでバランスを崩している状態も、このブレーキを踏んでいる瞬間と同じだ。
その事を的確に表現している言葉の発見にはワクワクする。
その意味では、つくづく私はマニアックだと思う。
昨日の東京の稽古では、投げにも使える身体操作を稽古したが、結局その基本となる身体構造の認知や、そのコントロールが出来ないと出来ない。
そういう事が見えるので、身体構造を体感したり認知しなければならない動きを稽古した。
基本的には、日野武道研究所が言う「縦系の連動」が出来なければ、結局のところ腕力を使わざるを得ない事になるのだ。
それは、ずっと以前から気付いていた。
だから、「連動は必須だ」と何時も何時も言っていた。
その場に直面すると、その動きを稽古する。
それでは、何時まで経っても出来ない。
もちろん、当人が良ければそれはそれで良いと思うが、、、、。
全く現場もやる事も違う事だが、「とにかく、毎朝挨拶をしよう、元気な声で相手の人に」と、小学生が学校で教わるようなことをある職場で強制した。
大の大人がやらないから「やれ」という他はない。
それを言い続けて10年。
やっと、その職場で挨拶らしきことが出来るようになってきた。
「馬鹿か?」こんな大人に給料を払わなければならないのは最悪だ。
ところが首には出来ない。
どういう事?
それくらい公平ではないのが日本の一部の現状だ。
「まずやれ」だ。
自分がやれば、誰かは釣られてするようになる。
それで良いのだ。
と、最低レベルの話を大人にしなければならない。
「武禅一の行」は明日で締め切る。
当たり前の事が劣化し、当たり前では無くなっている。
それは、何時も話すように子供の頃の現実体験があさいからだ。
それも仕方が無い。
東京ワークショップは6月6.7.8日
