見えている事は修正できるが、見えていない事は?
12期「大阪明鏡塾4講座」は昨日終わった。
講座のテーマは大きくは「触れる」「言葉を届ける」「気持ちを汲み取る」と三点だ。
それ等を様々なワークを通して学んでいくのだ。
しかし、受講する大方の人は、それらのテーマは「教えて貰えば出来る」と思っている。
そして、やり出すと「自分は『どう』動かしているのかを知らない。
つまり、極論になるのだが、自分の行為を認識していないのだから、治療の実際が「脳内治療」とでも言うべきものになっているのだ。
頭の中では、自分の行為の目的であったりどうしなければならないのかを知っているし、体験的にも十数年、あるいは30数年仕事をしているので分かっている。
ここに落とし穴がある。
例えば、字を筆で上手に書きたいとする。
机の上に半紙を取り出し、任意の字を書いてみる。
思っているように書けない。
あるいは、お手本の様には書けないとする。
それは、「書けていない」ということが「見える」し、手の動かし方も見える。
つまり、自分自身を客観視出来ている、自分自身の行為と結果が見えるから認識できているのだ。
だから、的確な修正を自分自身に行え、時間と量が必要だが、目指す「上手な字」は実現するのだ。
落とし穴というのは、この「自分自身を客観視出来る、出来ない」という点にある。
中でも身体を動かしたり、手技のように指先や手そのものがセンサーになり、患者さんの状況を察知しなければならない仕事では、色々な角度から自分自身を客観視する、あるいは出来る必要がある。
と、そもそもの問題を感じ取れない、気付かない医療従事者が多いのはどういう事なのか?
「明鏡塾」では、そういう最も基本的な話と共に、「そこ」を開発する事が目的だ。
つまり、医療従事者の皆さんが、学んだり知識として持っている事を、全て活用し尚且つもっと成長させる事が目的なのです。
先日の大阪明鏡塾でも、復習として基本の「触れる」から、応用の「触れる」まで午前中に行った。
今期受講している医師や柔整師、看護福祉士他の「手」を常に観察しており、今回もじっくりと観察する。
「指」そのものに対する感覚の薄さが見える。
「そこ」を活性化させるには?と考える。
そこで閃いたストレッチや手の使い方を、カリキュラムにある講座とは別の稽古をする。
もちろん、そうすると「手」そのものの感度が良くなるので、「触れる」の違和感が減る。
そういった事の繰り返しだ。
次期大阪13期は2025、1月からだ。