感性
自分の都合の良いように
2016年5月21日
前にも書いたように、今1997年から2005年あたりに書いた雑誌の連載記事を見なおしている。 それは1冊にまとめる為だ。 書いていることは、何一つ変わっていないが、現在の方が中身が濃くなっている分、付け足しが増える。 そ […]
分からないことは分からない
2016年4月6日
不確かな言葉をどうして使うのか、例えば「気」だ。 武道をやっている立場上、そういった言葉をよく聞くし、質問される。 もちろん、私には分からないから「分かりません」と答える。 それを使っている人は、その言葉が自分としてしっ […]
自分の住む世界の狭さを知る
2016年2月13日
自分の目の前に現れていることは、そのまま現れたことだが、現れるまでに蓄積された努力や苦労が見える人と見えない人がいる。 見えない人は、自分のことすら分かっていない人だ。 自分のレベルを知っているのか?という問題を、常に自 […]
例外とは、そのものと徹底的に向き合うこと
2015年11月28日
思えば、あらゆるものは、その時点での例外から発生していると言っても過言ではない。 決して主流というか、その時代の本流からは、次世代は生まれないのだ。 毎日仕事をやっているのだが、それは「自分」でなくても、つまり、人が変わ […]
誰かの言葉で一杯な自分
2015年5月11日
人はどれほど漠然とした言葉を使っているのか、注意深く他人の話を聞くのは面白い。 それらはワークショップでも、教室でも「明鏡塾」でも同じだ。 だから、そこを突っ込んでいく。 日常会話は、漠然とした言葉の羅列でも大丈夫だ。 […]