思う、ではなく想う

「思う」と「想う」は、漢字で書けばそのまま分かるが、言葉となると同じ音声「オモウ」になるので、よく混乱する。
「オモッタら駄目や」は「思う」だ。
これは言葉が頭を駆け巡っている状態だ。
そうなると頭の中の理屈や判断を誘発させてしまう。
すると、それが行動を伴う事なら一歩踏み出せない。
行動を伴わなくても考えを整理することなら、混乱のままになる。
整理できないのだ。
「想う」は、いわば空想のようなもので、像(写真や動画のようなもの)なので、全体を把握している。
だから、一歩踏み出しやすい。
よく「イメージは駄目」と私はいう。
それは、この「想う」ではなく、大方が「思う」だからだ。
「感じて下さい」
と指示した時、「感じようと思う」が殆どだからだ。
もちろん、像として頭の中にあるのなら、それで良いのだ。
感じて、の場合は、知覚されていればそれで良いのだ。
私は、大方の場合、この「像」を追いかけている。
像の中に自分を重ねていくのだ。

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