翻訳語は

人は言葉を知るほどに混乱していく場合がある。
特に日本語ではなく翻訳された言葉が問題だ。
それは単に翻訳されているだけであって、日本語のニュアンスを持っていない。
しかし、それを読む私たちは、「日本人」つまり、良し悪しは別にして、その文化の中に育って日本語を使っているということを、抜きにしては読むことは出来ない。
だから、翻訳語はざっくりとは感じ取れても、真意は定かではない。

思うに、心理学なるものが輸入されてから、精神的な病名が増え、その種の病人が増えているのではないかと思う。
もちろん、そのデーターを調べたこともないので何とも言えないが、医師が「パニック障害の人が恐ろしく増えています」と言っているので、間違いなくその医師の周りではそうなのだ。
また、友人の医師が「治療法がないにもかかわらず、診断し病名を付けるのは最悪だ」とも言っている。
その通りだ。
だが、日本人の恐ろしいところは、病名というレッテルを貼られたら安心しているところだ。
「いや、それって何や?」とどうして医師に突っ込みを入れないのかだ。

こっちの頭がおかしくなるような会話になる事が増えているのも、この翻訳語に市民権が与えられてからだ。
自分を分析したり、物事を一々なにかのレッテルを貼り付けたり。
ほんとに日本人はレッテルを貼るのが好きだ。
一応の整理としてレッテルを使うのは良い事だと思う。
しかし、それは一応の整理、つまり、仮説であって「それ」ではない。

もっと言えば、どうして日本語で考えないのか?だ。
もちろん、私も翻訳語を使う。
その理由は、その言葉の方が相手が安心するからだ。

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