感性
言葉は自分自身の行動や行為を誘導している
例えば、俳句では「季重なり」を嫌うというルールがある。もちろん、単純に駄目だという事ではない。 俳句の事を書きたいのではなく、この「季重なり」と似ているのが、言葉と実際だという話だ。 例えば、怪我をして「痛い」と叫んだ時 […]
言葉が身体を支配するから注意が肝心だ
「力の衝突」を避ける。
「武道」では必須だ。
それは、力負けする可能性を持っているからだ。
ではどうするか?一つに、力の方向を変える。
一つに、衝突した瞬間に「衝突した」という意識を持たない事だ。
実は、それが一番大事な事だ。
以前書いた事があるが、足を石で切った大怪我をした。
その時は「痛い」という意識が身体全体を支配している事に気付いた。
足を切ったのは事実、大怪我も事実。
だが「痛い」というのは単なる言葉だ。
それと、身体への刺激がダブっており、「痛い」に支配されてしまうのだ。
言葉と実際や実体は、全く別物だ
「大事な事は、体感であって理解や知識では無い。理解や知識でまとめると、折角の体感が『それにしか使えない方法』に成り下がってしまう」
これは、「武道」でも「明鏡塾」でも何時も話す事だ。
しかし、人はどうしても自分なりの分析をし、自分なりの理解を選び自分自身の体感とは別物を創り上げたがる。
もちろん、体感と言葉が別物だという認識を持たないからだ。
いうならば、言葉と実体とは全く別物だという認識が無いのだ。
それは、言葉と実際の違いという所に焦点を絞り考えた事が無いからでもある。
例えば「痛い」という言葉一つとっても、その事と実体に起こった刺激とは関係が無い。
誰しも生きる時間は限られている、筈
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「感覚」はどこからどこまで?そんな事を考える
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