感性
今日から東京ワークショップ
今日から東京ワークショップだ。 何時も何かをしようと思う時から、その時は始まるので何だか時間の密度が濃くなる。だが、結局はこの場合は3日で終わるので、「あっと言う間に」になる。 思えば、人生はこの連続だ。 だから「あっと […]
基本は「これは何?・どうしてこれ?」から始まる
目的を持った一つの動作や運動から、その本質を探り出し、そこを突き詰める作業は何よりも楽しい。その結果が、色んな世界とリンクするようになるからだ。 もちろん、当初はそんな事は1ミリも頭に無かった。ただ「これは何?どうしてこ […]
自分にある種の制限を設けた
懇親会を終えた翌日、原田先生とお茶をした。 色んな話の中で、「自分のリミッターを外す」というような話題になった。その話で自分の事を振り返って見た。 私自身は「リミッター」という言葉を持っていない事、そんな事を考えても見な […]
対立しない、は、対立出来ないということではない
「相手と対立しない」というのは、武道の真髄でもある。 しかし、「対立出来ない人」になるのではない。対立しないというのは、逆にとことん対立出来るという事でもある。 また「腕力がある必要はない」とはいうが、それは腕力が無くて […]
当たり前の事だが、限界は常に自分が決めている
「身体の可能性?」と言えば「無い」、身体の「可能性を引き出すのは自分自身」だからだ。決して身体メソッドでもなければ何かしらの身体理論でもない。自分自身の目的や目標、あるいは、「こうしてやろう」という何かに対する意欲のよう […]
今日から「武禅」それこそ吠える2泊3日の始まりだ。
今日から「107回武禅一の行」だ。毎回常連達の顔を想像しながら進行を考える。 それこそ「どうすれば?」だ。どのやり方が響きやすいのか?これを考えるのは不可能なのだが、よりそこに近づけたいと思うからだ。 先日、知人が面白い […]
わだかまりがあるから思考を深くすることが出来るのだ
昨日の「わだかまりは有るだろうが」というところがポイントだ。
それが無ければ、思考も気持ちも強くも広くもならないからだ。
その「わだかまり」を考え抜き自分の力で解決する。
人生はそれの連続だ。
食い違いや行き違いは、思考の切り口の違いやレベルの違いが生み出す事が多い。
その場合は、お互いにじっくり話を理解する事で解消の糸口が見つかる。
しかし、感情のズレはそこで解決しても、相手に抱いた感情は残る。
その感情を基盤として「わだかまり」が発生するのだ。
だから、「こうすれば」という世間にある方法では解消できないし、それを外部の思考で解消するのは間違っているのだ。
自分が裏付けを生きていない人の言葉は気持ちが悪い
よく「最近の人は答えだけ、あるいは方法だけを知りたがる」という話を聞く。
もちろん、私も聞くし私も昔はそんなことを口にしていた。
今でも「面倒だから答えは?」という癖が残っている。
だからこそ、それでは無いという事を体感して来たともいえる。
そんな癖を持つ人、答えを直ぐに知りたい人、方法を知りたい人は、「それで何?」と自分に突っ込んで見れば分かって来る筈だ。
「自分で考える過程だけが大事な事」だと。
つまり、その言葉の裏付けが自分自身の経験として身体に残るからだ。
それが残れば、重要な事は自分の力で考えられるようになる。
よく「答えは無い」と話す。
それは、全て自分自身が出すものだからだ。
言葉に匹敵する「技」は、技能と捉えるから進化する
私自身が好きで探求している事、その経過の中で出来た事に興味は無い。
そこが終着駅ではないからだ。
ただ、「そうか、出来るやん」で忘れてしまう。
その意味で、武道の稽古の中で出来て行ってる事に興味はないという事だ。
つまり、達成感も喜びも、いわゆる自己評価も自己肯定感も無い。
そもそも、そんなものを持ち合わせていないからだ。
昨今の巷に溢れる「言葉」に、何の興味も持てないのだ。
それは単に何かを誰かが解釈しただけの「言葉」だからだ。