自分にある種の制限を設けた

懇親会を終えた翌日、原田先生とお茶をした。

色んな話の中で、「自分のリミッターを外す」というような話題になった。
その話で自分の事を振り返って見た。

私自身は「リミッター」という言葉を持っていない事、そんな事を考えても見なかった事に気が付いた。
大方の人はどこまで意味の分からない「言葉」に振り回されているのだろうか?
もし、リミッターというものがあるとして、そもそもリミッター外をさなければいけないような体験や局面があるのか?

また、自分がやろうとした事が、それ程たいそうな事なのか?だ。
自分がやろうとしていることが中途半端で終わるとしたら、それはそこまでの情熱しかなかっただけで、リミッター云々の話ではない。
あるいは、我慢や辛抱が足りないだけだ。

リミッターという言葉の関連でいうと、私は逆に自分自身に「こうでなければいけない」と制限を設けた。
何をやってもこの制限に従った。
それが美意識だ。
ここを説明するのは難しい。
もし興味があるなら、自分で見付けて欲しい。

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