やりたいからではなく、やらなければならないから「やる」
例えば、武道の型として腕を動かす。
その時、身体全体の動きとバランスが取れているのかが気になる。
何か違和感を感じるからだ。
この違和感は「武道の型として」の違和感であって、日常のものではない。
そんな選り分けは自動的に行われている身体になっている。
で、違和感の元を探すべき、動きを確かめてみる。
そういった身体への探索が、身体を「一つ」にまとめて行くのだろう。
そんな時、誰かが私の動いているのを見たとしたら、「何をしているの?」となる。
きっと、単なる挙動不審者に見えているだろう。
そんな日々を10代後半から、いや、もしかしたら器械体操をやり出した、中学1年生からやっていたかもしれない。
私は、「それ」をやらなければならないからやっているだけなのだが。
もちろん、それが「私」であり、「人生」だからだ。
そう言えるのは、現在75歳になっているからだ。
その年齢になるまでは、「それ」をやらなければならないからだけで、私にも人生にも結び付けてはいなかったし、そんな年寄りの様な言葉を持っていなかった。
やりたいからやるのではなく、やらなければならないからやるだけだ。
大阪ワークショップは8月4,5,6日です。