からだ

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分からん

先日、1年ぶりか、もしかしたら2年ぶりに愚息が稽古に来た。 日曜日が休みになったからだ。 愚息には余り馴染みのない棒の稽古だったが、動きを覚える早さはずば抜けていた。 「何でや?」と何時もながら感心する。 もしかしたら、 […]

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動きの熟練が終着点ではない

一つの基本稽古、その中でも基本になるのが、相手との関係性のものだ。 日野武道研究所では、相手との距離感や何時動き出せば良いのかを重要視し、そこを要点として稽古をする。 もちろん、最初はルールとしての、身体の動きからだ。 […]

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からだは一つ

「からだ」という所に辿り着くまでに20年を要した。 もちろん、武道は身体を動かすものだから、運動という意味では常に身体と向き合って来た。 しかし、運動という捉え方だけでは解決できない事が沢山見えてきた。 それは、俗にいう […]

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実力が上がっている

「明鏡塾」も3回めが終わった。 丁度半分である。 回を重ねる毎に全員の集中力が高まる。 そこには、何に注意して何をどうするか、とう作業そのものがあり、それをすることで何を得るのか、という明確な指針、具体的な指針があるから […]

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身体の事は身体を通して

「20年ぶりくらいに膝が有る」これは、理学療法士をしている尾森くんの今日の日記タイトルである。http://ameblo.jp/ryo813529/entry-12011583939.html  何でも20年前内臓疾患を […]

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道具は身体を作ってくれる

今の時期、教室では棒の稽古に励んでいる。 道具を使うというのは、その道具が使い方を限定するから、相当面白いのだ。 道具を使うことで、身体の精密さが増す。 別の言い方をすると、身体の持つ感覚を開発してくれる、あるいは、引き […]

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目に見えないけど見える現象

今日は朝から押切さんと「明鏡塾」の内容や、今後について打ち合わせをしていた。 教室に来る学生をモデルにして、「触れる・感じる・聞く」のバリエーションの動画も撮った。 「関係」という得体のしれない現象は、当人同士だけではな […]

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自分の力だけで

「触れる」というワークは、文字通り他人の身体に触れることだ。 「武禅」では感度の良い女性にセンサー役をやってもらい、全員が代わる代わる彼女の身体に触れた。 「あっ、ましです」という人を残していき、最後に誰が残るかをやって […]

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手に意志が生まれる

昨日は2回目の「明鏡塾」だった。 全員が「今日は時間の経つのが早かった」と懇親会で振り返っていた。 前回の復習から始めたが、全員きちんと自分の仕事場で検証を繰り返していたことが如実に分かった。 明らかにグレードは上がって […]

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またまた言葉

先日の友人が「晃、お前は分からんわ」と言う。 私も「アホか、俺にも分からんわ」と返す。 友人の「分からんわ」というのは、友人自身の持つ価値観に当てはまらない、あるいは、自分の知識の範疇にない、という意味である。 私の言う […]

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