身体は感覚のための材料?

昨日の稽古で面白いことに気付いた。
身体は感覚を使う為の材料に過ぎない、という考え方だ。
そう考える方が「感覚」にとって合理的なのだ。
例えば肘から指先にかけて感覚で線を作り出す。
その線を辿る速度と腕を動かす速度を同じにすれば、指先から重さが現れる、あるいは力が出るのだ。
もちろん、それは腕のネジレや、縦系の連動で以前からやっている。
何れにしても、その範囲が広く取り組み難い。
それを考えていた時、この肘から先を思い立ったのだ。
肘から先が出来れば、肩から肘、そして指先、という具合に、部分から全体になるようにすれば良いのだ。
これは小さな気付きだが、大事な事だ。
取り組み易くなるからだ。
腕のねじれも、今回の福岡では「肩のネジレ」という部分に変えた。
その事で、「ネジレが戻る」という感覚を掴みやすくなった。
縦系の連動では、13歳の少女でバレエダンサーの卵が数分で、第一段階をクリアした。
縦系の連動をすることで、指先から力が出るという実験だ。
少女は30㎏と小さい。対して腕を差し出す男性は90㎏と3倍の体重を持つ。
何度か試し、見事にその男性を床に壊した。
これが第一段階だ。感覚という能力なのか働きなのか知らないが、その得体のしれないものは、とんでもない可能性を持っているということである。
但し「感じる」は「思う」ではない。文字通り「感じる」なのだ。

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