未来の特養
今日は半年に一度の特養研修の打ち合わせがあった。
とんでも無く嬉しい報告を受けた。
副施設長になった女性を施設長に登用したそうだ。
そのことで、そのポストの空きを女性の部下を引き上げた。
そうすると、その施設はどんどん空気が良くなり、介護されるお年寄り達の入院数が激減したそうだ。
また、胃瘻を止め口から食べ物を摂取させることにも成功していき、結果痴呆も改善されてきたという。
良いことはどんどん連鎖する。
逆に、そういったマニュアル的ではない作業についていけない人達は、大量に辞めていったそうだ。
もちろん、私の研修を受けるとそうならざるを得ない。
「それを具体化するにはどうするの」と徹底的に詰める。
「分かってるの、自分の仕事はお年寄りの生命と直接関わっているんやで、ボケた目をしてどうすんねん」
それに耐えられない人、というよりも、その意味がわからない人は止めざるを得ない。
必要な人が必要なだけだ。
しかし、もちろん、辞めた人は駄目な人無のではなく、この特養、この職種には向いていなかっただけだ。
特養関連の総会があり、そこで胃瘻からの脱出の話を発表したら、こころある人達は感動したそうだ。
ここで行われていることは、本当の意味での介護だ。
机上の空論ではなく、お金儲けではなく、本当に「人と関係していく」それだけだ。
ただ、大事な事は古い体質の組織が組織だと思っているような人達の中では、こういった事は絶対に起こらないということだ。
この影には、この組織の常務の力がある。
本当にお年寄りに喜んでもらえる施設作りをしたい、という情熱があったから成し得て来ていることだ。
常務一人で組織と渡り合って来たのだ。
どこかから借りてきたような組織は一度解体しよう。
どうしてその役職が必要なのか、必要だというならば、どんな仕事をしているのか、そんなことを洗い出し、組織をぶち壊しにかかったのが8年ほど前になる。
同時に私の役目は人を選り分け、育てることなので、何とか一人を一人前にした。
もちろん、それは私がしたのではなく、ヒントを与え続けただけだ。
特養と在宅の間に必要な施設、そんな事も既成のところを当てにせず、そこも作ろうということになり、大きなプロジェクトが進んでいる。
モデルになるような特養にしよう、初めての研修の時に皆に話した言葉だ。
コーヒーを飲みながら「10年かかりましたね」と常務。
「いやいや、結果10年かかったけど、10年あったら出来るのではないで、たまたまその女性がおり、常務の情熱があり、という偶然が作り出したんや」
今日の報告ほど嬉しい事はない。
完全に未来に生きており、そしてそれが本当の姿だからだ。
「人との関係」全てはこれだ。
スキルもへったくれもない。