未来の特養へ

現在スタンダップコメディという事で活躍している「ぜんじろう」さん。
そのぜんじろうさんが福岡でのコメディフェスに出演した時の感想文で、興味深い事を書いていたので抜粋した。
『とある外国人コメディアンのネタ。「サッカーの試合の後、日本のサッカー選手は、勝った時「自分らしい試合が出来ました」負けた理由に「自分らしい試合が出来なかった」とかって言うけど、、あの「自分らしい」って何?そんなの他の職業では言わない。例えば郵便局員が「今日は自分らしい配達が出来た」とか、配達が遅れた理由に「自分らしい配達が出来なかったんで、、」なんて言わない。。。何?自分らしいって?訳せないよ』
確かに。
やはり外国の人から見てもおかしいと感じるのだ。
しかし、この手の人は掃いて捨てるほどいる。
もちろん、私が話す相手にそういう人、いやそういう言葉を使うと当然「自分らしいって何?」と質問する。
どういうつもりで話しているのかまで突っ込む。
大概は答えられない。
つまり、自分で話しながら、それは答えられない言葉だということだ。
「お前がお前の口から出た言葉やから聞いているんや、お前は他人に自分でも理解していない言葉を話しているんか、舐めてんのんか」と突っ込む。
先日紹介した特養での改革では、沢山のスタッフが辞めた。
それを常務が分析した結果、「自分らしい」とか「自分はこれだけしているのに、というような『自分』のことばかり口にする人」だと結論づけたそうだ。
「自分らしい」というのは、俳句で言う「季重なり」だ。
自分がどこで何をどうしようが、それが仕事であろうが遊びであろうが、自分がやっているのだから「自分」なのであって、「らしく」もヘチマもない。
もちろん、「自分の思い描くように」という意味を含んでいるのだろうが、もしそう言ったら「どんなことを描いているのか」と突っ込むことが出来る。
それに対応出来ないから「自分らしく」という曖昧かつ意味不明の言葉に置き換えている事も有るのだろう。
その特養の研修での中間管理職も似たようなものだ。
だから数人辞めた。
「ケアマネージャーの仕事を、分かりやすく説明して下さい」というと、まるで子供に話す様に話しだす。
「一寸待て、俺は60過ぎの爺さんや、ガキやないで」どこで覚えたのか、どこかのマニュアルなのか、大人の会話が出来ないのだ。
一あたり話を聞き、「全く分からないからもう一度やってみて」と言うと、同じことを繰り返す。
「それでは理解できないと言っているのだから、同じことを話してどうするんや」福祉の専門大学を出た連中だ。
こういった人達よりも、現場で働くパートやアルバイトのおばちゃんの方が、はるかに仕事が出来る。
その仕事の出来る人を登用する制度を作った。
5,6年前には派遣の人達を全部無くした。
いわゆる派遣切りではない。
全く逆だ。
正社員になりたい人を全員正社員にしたのだ。
未来はそこにあるのではない。未来という夢を具現化していくと、それが未来になるのだ。
とにかく、現在の経営や組織というもののあり方は間違っている。
もちろん、バブルをくぐり抜け、リーマンショックを乗り越えている会社は、世間でいうところの常識的な考えの経営者ではない。
だからこそ、生き抜いているのだ。
常務と10年前に交わした夢、世間のモデルになる特別養護老人ホーム作り、着々と進んでいる。
それは「人が人と関わり合う」という、極々当たり前のことがコンセプトだ。

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