稽古

からだ
武道が教えてくれる柔軟な考え方

武道には返し技や変化技がある。
その究極の目的は、どんな攻撃にも対処できる思考と身体を作り出す事にある。
しかし、大方は「返し技」や「変化技」として習得し、結局は色々な技と横並びになってしまい、変化できる「私」にはならない。
そんな事に気付いた時、稽古の方法を深く考えなければいけないと思ったのだ。

巷では「変化に対応する柔軟な考え方」を持たなければ、今後の世界の変化に対応できず取り残される、と囁かれている。
それはその通りだと思う。

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からだ
当たり前の事だが、限界は常に自分が決めている

「身体の可能性?」と言えば「無い」、身体の「可能性を引き出すのは自分自身」だからだ。決して身体メソッドでもなければ何かしらの身体理論でもない。自分自身の目的や目標、あるいは、「こうしてやろう」という何かに対する意欲のよう […]

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ワークショップ
「武禅」を終えてからも

久しぶりのブログだ。 「武禅」が終わるととにかく寝る。頭が回転しすぎて止まらないからだ。 道着を20着洗濯し、後片付け他諸々を終える。私は、直ぐにレポートを読み返信原稿に取り掛かる。同時にwebようのピックアップレポート […]

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ワークショップ
120食分の仕込みは大変や

熊野に戻った。寒さの為炬燵で首までスッポリ。 熊野では6月まで炬燵をしまえない。だから、炬燵の無い時期は4ヶ月程しかない事になる。 この間の日曜日は「大阪明鏡塾10期」のスタートだった。初めての人が医師を始め数人いたので […]

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ワークショップ
自分が裏付けを生きていない人の言葉は気持ちが悪い

よく「最近の人は答えだけ、あるいは方法だけを知りたがる」という話を聞く。
もちろん、私も聞くし私も昔はそんなことを口にしていた。
今でも「面倒だから答えは?」という癖が残っている。
だからこそ、それでは無いという事を体感して来たともいえる。
そんな癖を持つ人、答えを直ぐに知りたい人、方法を知りたい人は、「それで何?」と自分に突っ込んで見れば分かって来る筈だ。
「自分で考える過程だけが大事な事」だと。
つまり、その言葉の裏付けが自分自身の経験として身体に残るからだ。
それが残れば、重要な事は自分の力で考えられるようになる。
よく「答えは無い」と話す。
それは、全て自分自身が出すものだからだ。

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スポーツ
神田道場?「どうして?」

そういえば、2018年4月7日に東京の道場を神田に持った。「どうして?」 私が大阪に道場を持ったのが、40年程前だ。この道場は、私自身の武道に対する考えを実験する場だった。 やるべき事、考えなければならない事、やった中で […]

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スポーツ
今年も1/3が過ぎようとしている

あっという間に4月も半ばになろうとしている。という事は、今年も1/3を過ぎようとしているという事になる。 昨日の日曜日は、レスリング少年が兄弟揃って受講してくれた。兄弟が出場する世界選手権代表選手権や、全日本ジュニア選手 […]

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スポーツ
言葉は自分自身の行動や行為を誘導している

例えば、俳句では「季重なり」を嫌うというルールがある。もちろん、単純に駄目だという事ではない。 俳句の事を書きたいのではなく、この「季重なり」と似ているのが、言葉と実際だという話だ。 例えば、怪我をして「痛い」と叫んだ時 […]

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人生波風一杯
やっぱり「素直」が一番

彼は素直だ。
指示された事を、そのままやろうとする。大方の人も同じなのだが、時間が経つと変わっていく。
自分なりに、自分の癖で癖の持つ価値観を最良として考えて行くのだ。
つまり、指示された事ではなく、自分の価値観に変換してしまうという事だ。
だから「出来ない」のだ。

「出来ない」には色々な理由がある。
もちろん、出来ない人の無意識のレベルだ。
そこを解明するのは難しい。
個々に違うからだ。

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人生波風一杯
地道な稽古と地味な稽古が質を上げる

「指先だけを意識して」というテーマでと身体を動かした時、確かに指先からの線が「そこ」にあった。
テーマを持った「量」は、間違いなく身体の質を変える事が改めて分かった。

型全体を見るまでもなく、相当レベルが高い事は見えた。
体重移動とかは別にして、完全に黒帯だ。

こういった地味で地道な稽古でしか、身体の質を成長させる事は出来ない。
続いて「柔らかい棒」の操作の話になった。
これは難しいのだが、それは固定概念のせいだ。
そこを突破するには、自分の考え方は固定概念だと認識する事以外にない。

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