2013年2月26日
このごろ、大阪教室では組み稽古を重点的に行っている。 組み稽古だからこそ出来る事、組み稽古だから検証できる事をやる。 といっても、それが理解出来るのは10年組みだけだ。 何時も、そんなことに不思議を感じる。 皆は、置き換 […]
2013年2月24日
「型」をどう考えるか。 と言った時、私は様々な種類の雛形と置き換える。 例えば字、例えば音楽の教則本というように。 もちろん、型を作った先人は、そういうつもりはないかもしれない。 単純に、型のように対処する、という意味か […]
2013年2月22日
例えば、「押してはいけない」という条件があったとする。 しかし、大方の人は押す。 いくら腕が押さない様にしていても、身体全体は押す形になっている。 その事に、気付く人は数少ない。 もちろん、それがクセだといえばクセだ。 […]
2013年2月19日
お鮨の話ではないが、握る・触るは、それこそ鮨職人と同等か、それ以上の繊細さが必要だ。 そんな事もあり、先日小野二郎さんの映画を見たのだ。 その手は、ネタやシャリとの対話と言ってもよいくらい、じっくり鮨そのものと向かい合っ […]
2013年2月11日
「柔らかい身体」と言えば、ダンサーやサーカス、アスリートなど、身体パフォーマーが直ぐに頭に浮かぶ。 実際、背骨も各関節も稼動域が広い。 だから柔らかい身体、なのか? そこのところがさっぱり分からない。 いくら稼動域が、人 […]
2013年2月1日
器用な人、ということを少し書いたが、私はドンくさいから、そういった人を羨ましく思う。 もし、私がそれ程器用なら、自分が出来る全てのことで、それこそ一番になってやるのに、と思うからだ。 でも、そういった器用な人を見ていると […]
2013年1月29日
大阪教室へ。先日の大学での講演でもそうだったが、若い子達は言葉の使い方を知らなさすぎる。 もちろん、一般常識的なことでもそうだが、対人的な言葉の持っていき方だ。 例えば、何か話しを聞いたとする。 「何を聞けた?」と質問す […]
2013年1月25日
私の道場で、最も重要な基礎稽古は「肘当て六法」という型だ。 もちろん、基礎稽古といっても、初心者だけがやる稽古ではない。 私は30数年、この型を見直したり稽古したりしている。 何かしらの気付きがあった時、この型に帰る、そ […]
2013年1月23日
1.2.3.4.と順番で、デジタル的に動作を考えたらあかんで、と何時も言う。 それをするから、身体の動きがバラバラになるし、美しくも力も出ないのだ。 となると、腕力に頼るしかなくなる。 動きが途切れないこと、意識が途切れ […]
2013年1月22日
やっぱり稽古は難しい。 やること、つまり、運動が難しいのではなく、その運動を指示する頭が固すぎるから難しくなるのだ。 そことの勝負が稽古だ。 しかし、大半は運動を精一杯するのが稽古だと解釈している。 若い頃は、体力を作る […]