ひたすら間違え

スティックを今まで以上に握らない。
スティックを手の中での自由性を与える。
これをやっていると、スティックが暴れ回ってうまくコントロール出来ない。
しかし、刀を持つ手と同じだ。
だから、スティックと刀、手と指の違いがあるだけだ。
と言葉ではそうなるが、実際となるとかなり難しい。
しかし、かなり難しいとは言うものの、実際として何が難しいのかは、まだ分からない。
目の前には、コントロール出来ないという現象があるから、それが難しいと頭は働く。
しかし、そうではない。
それは現象として出来ていないだけだ。
現象を成功させる為のコントロール。
それはどこをどんな動きというか、働きというか、そういったもののポイントを見付けださなければいけないのだ。
そのポイントが見つからないのだ。
だから、何が難しいのかはまだ分からない。
早急にその分からないことを探しださなければ、1月10日には間に合わない。
だから、こうではないだろう、と間違った事をどんどんやる。
消去法だ。
これをどれだけ続けても、ここには行かないだろう、ということをドンドン探す。
それが間違い方の天才というのだ。
そこにどれだけの時間を費やしても、出来るようにだけを目指すよりも近道なのだ。
だが、実際的には遠回りしているように見える。
しかし、考えて見れば分かることがある。
たとえ現象として成功しているように見えることに辿り着いたとしても、間違いを知らなければ、それが成功しているのかどうかは分からない。
現象というのは、その意味でやっかいなのだ。
間違い。例えば、スティックの自由性を無くす。
いわゆる力んでスティックを持ってみる。
それで動かしてみる。
ガンガン動かす。
当然、手も腕も肩もパンパンになる。
それでも続ける。
直ぐに、良い例の手に変える。そ
んなことの繰り返しが、自分の中に閃きを生むのだ。
ひたすら間違え!だ。
但し、何が間違っているのかを分かってだ。
今回は、私にとって再確認の良いチャンスだ。
稽古法そのものを試す事が出来ているからだ。
1月10日バンザイ。転んでもタダでは起きまへんで。

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