流れを止めるな

このところ、思い立った時にはスティックを持つ。
とにかくスティックを握らない。
バウンドを拾う。
それを基本としてドラムを叩いていると、力む瞬間がよく分かる。
つまり、意識的な何かが働いた時には、必ず力むということだ。
流れの中で動いている時は、何の澱みも無く演奏が出来る。
しかし、「こうしてやろう」と働いた時、腕に力みを覚える。
もちろん、そこで止めることはしない。
そのまま続け、力みを取る方法を講じるのだ。
まるで武道の練習をしているようだ。
また、日常そのものでもある。
改まった意識が働かなかったら、身体は自然と働いてくれる。
つまり、日常は状況に応じて無意識的に働くのだが、改まった何か、あるいは、次やるべき事が有る時、その自然さは失われる。
例えば、お湯を沸かしている時、誰かが訪ねてきたとする。
その応対は自然に出来ているのだが、頭の中で「そうや、お湯をわかしていた、この人早く用事を済ませてくれないかな」と思ったら、身体は急にソワソワし始める。
そういうことだ。
ここのソワソワが、相手に見破られるのは、「ソワソワしてしまった」と、意識するから、つまり、応対している流れを止めてしまうからだ。
ソワソワに気付いたら、その流れの中で、流れを止めずに改めて相手に対応する事に集中したら良いだけだ。
教室やワークショップでの、皆の取り組み方を見ていたら、この「力み(ソワソワ)に気付いた」時点で止まって、改めてまた始めるということをするのが大半だ。
それを止めずに続ける人は稀だ。
そうすると、力みが自然と定着し、必ずそこで止まるという習慣になってしまうのだ。
いくら力んでも、その流れを止めずに動かしながら修正する、という習慣を付けていかなければ、その逆の習慣が付くということだ。
日常では、自然に無意識的に、意識の切り替えをやってくれているが、それは無意識に身を委ねているからであり、その意識も無いからだ。そこを味方に付けるということが、改まって、という意識を働かせなくするポイントだ。
と言う具合に、「何に気付かなければいけないか」というポイントを知っていれば、日常であろうが、別の何かをしている時であろうが、武道の稽古になるのだ。
つまり、稽古法を知らなければ、効率よく前に進む事は出来ないのだ。

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