無意識の働きを活用させるには
次に進む。見切り発車が出来る能力というものは有るのか。
そんな事を考える。
何の話かというと、技術を獲得していく為のものだ。
一つの型をやろうとする。
最初は「何となく」で良いし、何となくしか出来ない。
それを何度と無くやると、手本や要素から比べて何が出来ないのかに気付く。
もしそれが出来ないのであれば、比べる力が足りない、比べて自分はどうなのかが分からないということだ。
また、全体を感じ取る力が不足している場合もある。
であれば、それを訓練すれば良い。
もっと言えば、この力が無ければ手本に近づくことも、そのことを媒介として、自分を向上させることも出来ないということだ。
だから、人にとって非常に重要な力だと言える。
それは日常的に訓練しなければ育たない。
何が出来ないかに気づくと、その出来ないことを引っ張りだし、そこを出来るようにする。
しかし、出来ると言っても完成ではない。
完成になる筈もないということも分かっていなければ駄目だ。
単純にスムーズに出来るかも、というレベルで十分なのだ。
そして、改めて最初の型に取り組む。
そうすると、また別のパーツの出来なさに気付く。
そうしたら、またそこを引き出しスムーズになるように数をこなす。
そしてまた型に入る。
そんな事を繰り返していくと、型はスムーズに出来るようになっていく。
見切り発車というのは、パーツがスムーズになる様に練習をしていて「これくらいでいいかな」と決断し、最初の型に戻ること。
あるいは、型をやっていてパーツに戻る頃合い、見切りのことだ。
徹底的に一つの事をやり切る場合と、適当に次に進んだ方が良い時。
やり込むのは、例えば腕を柔らかく使うことが出来ない時、肘を放るという訓練をする。
肘が腕の中心だからだ。
こういった事は、やり込む練習になる。
私は、気が付けばいまだに訓練している。
際限が無いのだ。
それはやり込むことで、自分自身の身体感覚が鋭敏になっていくからだ。
感覚と実際とのアンバランスが、際限なくやり続けることの出来る理由だ。
こういった事は、それぞれが編み出して行くことで、それが自分に適した方法になるからだ。
とは言っても、最初は見つけ出すのが難しい。
だから、一応のひな形が必要になる。
しかし、そこにも「ひな形だ」という認識が必要になる。
決して絶対ではないからだ。
私の教室やワークショップでは、実際にこの事を使っている。
一つの事をやる。例えば「胸骨を動かす」から入る。
動かせようが動かせまいが、その応用に入る。
もちろん、出来ない。出来る事が目的ではなく、「こう使える」ということの例だからだ。
そうすることで、胸骨操作はどう発展出来るのかを考える事が出来るからだ。
それをどんどん繰り返していく。
2時間も経つと、最初の胸骨操作は、何となく出来るようになっているのだ。
つまり、出来ないことに取り組む時、そこから派生する様々な応用なり、変化なりを考えて行くことが、結果として出来ないことが出来るようになっていくということだ。
これが無意識という脳の働きを十分に活用させるという稽古方法なのだ。