時間はかかる。誰でも自分の決めた枠があるからだ
それが患者さんに届くかどうかは、治療全体・信頼全体にかかって来る。
特に理学療法士の場合、そう時間をかける事は出来ない。
だからこその「声かけ」→「届ける」なのだ。
何度か繰り返すが、代り映えしない。
もちろん、一般的なレベルでは完全にクリアだが、それでは意味が無い。写真を撮ってみせた。
言葉は無いがそれで充分分かる。
大阪ワークショップは2月3.4.5日です。受付開始しています。
何時ものように「身体塾」は、身体を効率よく使うには?という事で、各関節を「感じ取る」「関節を繋ぐ線をストレッチ」をして覚える。
一寸耳慣れない言葉ですが、武道で培われたものです。
時代は変われど景気は変わらない、暗黒は70年代から始まっていたのでは?
1970年頃、高給なナイトクラブやキャバレーで働く女性の日当は10.000円程だった。
一般サラリーマンの月収平均が58.400円の頃だ。
女性の方はチップを含めると相当の日当になった。
現在では、15.000円からという店もあるが、当時の価値とは相当違う。
つまり、1970年辺りから2022年現在まで水商売関係は、さほど変わっていないという事だ。
ということは、価値観の多様化から飲む人が少なくなったのかもしれないが、経済的にはさほど豊かになっていないということだ。
「自然体」とは自分自身の気持ちや閃きにしたがって生きている人をいう
自分自身を優先させて生きている人を「自然体」と呼ぶ事が、「自然体」という言葉のより本質に近いものではないかと閃いたのだ。
もちろん、もっと考えてみなければ分からないが、取り敢えずはこの解釈で進んでみようと思う。
という具合に、この場合なら私自身が「自然体」、つまり、私の閃きにしたがって生きているという事になるのだ。
気持ちが言葉になった、それが本当に嬉しかった。何十年もこんな感覚になった事はなかった。
こんな嬉しい事には、何十年も巡り合っていないのではないか。
単に見知らぬ人と一言二言言葉を交わしただけなのだが。
純粋に「気持ちが言葉になった」事が本当に嬉しかった。
言葉が場を和ませる、大阪下町の本音合戦
大阪の稽古では、私と最年長のおばあさんとのやり取りが、そのまま「場」を作り出す。その事で周りに笑いの渦が起こる。
それが大阪独特のサービス精神だ。
そこを取り出し「人生はサービス業」だと以前は話していたこともある。
若い内に一つの事を語り合えるクセをつけろ、徹夜で答えの無い事を語り合え
「良い友を見つけて、一つのテーマで3日4日徹夜で語り合えるようになれ!それが出来るのは今だけやからな」とも。
この「答えが無い事を徹夜で語り合う」という体力や集中力は、この時期に養っておかなければ、30代40代になってからは、本当に難しいと思う。間違いなく頭が硬くなっているからだ。
新しくクラスを作ろうか?テーマを絞って一つだけ、というような
懇親会を終えホテルに戻った。不思議な事に「寝る」あるいは「ゆっくりする」が、ホテルでは居心地が悪い。これはきっと年齢のせいだろう。若い頃、仕事でホテルを点々としていた時期があったが、疲れは無かった。 懇親会はそれなりに盛 […]
今日は最終日、良い雰囲気の中で終えるだろう、それが何よりだ
極端な大阪弁を使う時は、必ず皆の言葉への反応を伺う。
昨日も色々あって「ほんならな」と私が口走ってから皆の表情を見たら若干不安さが見えた。「ほんならな、て分かる?」とフルと、若者がジェスチャーを交え「本ならな」と来た。「そうか!」そうとるか!これには思わずこけた。こんなやり取りが、疲れを癒してくれるのだ。今日は最終日、熱い一日にしよう。










