やれる事をやる、やり残している事をやる、
今年は後期高齢者の仲間入りだ。
一体この呼び名は何?なのだが、面白いのでやたらと使おうと思っている。
折角、この後期高齢者になったのだから、何かしようと思っている。
もちろん、多くの人は新しい事に挑戦しよう、となるだろうが私は違う。
やれる事できちんとやっていない事をやろうと思っている。
やり散らかすよりも、まとめて行こうという考え方だ。
それは「死」という、私自身の限界点が見えているからだ。
そこに向けて、やれる事をやる、という事だ。
私のやれる事で、今一つ皆の役に立っていなかったのが表現の世界だ。
折角、2005年から解散するまで毎年ドイツのフォーサイスカンパニーに、指導をしに行っていた事が、日本のダンサー達には手が届かなかった。
それは、当時の私自身の分析能力が低かったのと、ダンサー達が自分で考えるというところが大きく欠如していたからだ。
海外のダンスの先生達や、フォーサイスカンパニーに所属していた当時のダンサーの大半は、私のワークに興味を持ち日本まで個人レッスンを受けに来る人までいる。
つまり、当たり前だが求めている人には価値のある事なのだ。
逆に、何かを「習おう」としている人には難しすぎるという事でもある。
日本で多くのダンサー達とワークをしたが、ほんの一握りというか一粒というか、それくらい少数の人達にしか理解出来なかった。
そこを何とかできないものかとずっと考えていた。
そこにある大きな壁は、ダンスをする動機だ。
そしてダンスに対する情熱が本当に薄い事だ。
その意味でオープンなワークではなく、人数限定、期間限定のクラスを作ろうか、と思っている。
現在、生徒の一人のダンスの先生は「新しい人が混じるとやり難い」と言っていた。
確かにそうだ。
そんな事も整理する必要がある。
そんな事も考える年始めだ。