「私」を認めるのも、存在たらしめるのも全て「私以外」の他人だ
引っ越しの準備とそれを兼ねての大掃除。
9年も前になるのか。
12月中旬に田中武久さんのお知り合いから電話が入った。
田中さんが入院しているとの事だ。
「ええ、ほんまですか?」と急いで大阪に向かった。
病床で田中さんが「治療の方法は無いそうや」と気弱におっしゃった。
それほど悪い状態だったのを知らなかった。
「田中さん、4月に一緒にコンサートをしましょう。一輝の和太鼓も入れて」「ほんまやな、やろやろ」その言葉で病室を後にした。
それから数日後、再び連絡が入った。
急いで病院に駆け付けたが、もう意識が混濁していた。
その時、ふと気付いたのだが、ミュージシャンが誰一人来ていなかったのだ。
「どうして?」
田中さんにお世話になった若手からベテランまで、どれだけの人数かは分からない程いる筈だ。
それを奥さんに聞いてみた。
「どうしてミュージシャンは来ていないのですか?」すると意外な言葉が返ってきた。
「今回の入院は誰にも話していません、日野さんだけです」と。
「何で?」
そして29日にお亡くなりになった。
関西のジャズピアノの大御所だ。
私は唯一の歌うピアノだと思っている。
エルビン・ジョーンズともCDを出し、来日公演の時は決まって田中さんの店でライブが行われた。
80年代は、来日する有名なミュージシャンは、田中さんの店で共演したものだ。
私のバンドはフリージャズなので、スタンダードの田中さんとは全く接点はなかった。
しかし、不思議なもので田中さんが可愛がっていたドラマーの東原力哉氏とは、彼が若い頃からの知り合いだった。
私はジャズを止め武道一本に絞って歩いていた。
ひょんな事で田中さんの店を知り、そこで力哉と再会し、そこからのお付き合いだ。
人は亡くなっていくものだ。
その人が生きていたかどうかは、誰かしか覚えていない。
まさしく、田中さんは私の思いでの中に生きている。
つまり、田中さんは存在した事を証明するのは、田中自身ではなく「誰か」なのだ。
何を言いたいのかと言うと、世の中は「私」を大切にする事に向かっているが、その「私」を認めるのも存在している事を認めるのも、「私」ではなく私以外の「他人」だという事を忘れてはならない。
つまり、「関係」が何よりも大事なのだ。
それを改めて、今日、田中さんが教えてくれた。