本年最後の「大阪明鏡塾」、東京「明鏡塾」での仕上がりに沈黙、でも
クリスマス「大阪・明鏡塾」本年最後の講座だった。 講座はベテランが多いので自然と高度になる。そうなると、発せられる言葉は同じだが、そこの背景に潜む内容に格差が現れる。そこに気付き、自分のヒントに出来るか否かもそれぞれに重 […]
小学生起業家に大喝采!
「小学生の起業家(李禮元君)」が、元マイクロソフトの社長の成毛さんと対談している動画だ。
誘導動画で「キラキラした大人が沢山いると、子供達はそれらの大人の人を目標に出来る」という意味の話を、その少年が話しているのが流れたので、「おお~!」と思いその動画を見た。
時間はかかる。誰でも自分の決めた枠があるからだ
それが患者さんに届くかどうかは、治療全体・信頼全体にかかって来る。
特に理学療法士の場合、そう時間をかける事は出来ない。
だからこその「声かけ」→「届ける」なのだ。
何度か繰り返すが、代り映えしない。
もちろん、一般的なレベルでは完全にクリアだが、それでは意味が無い。写真を撮ってみせた。
言葉は無いがそれで充分分かる。
大阪ワークショップは2月3.4.5日です。受付開始しています。
何時ものように「身体塾」は、身体を効率よく使うには?という事で、各関節を「感じ取る」「関節を繋ぐ線をストレッチ」をして覚える。
一寸耳慣れない言葉ですが、武道で培われたものです。
時代は変われど景気は変わらない、暗黒は70年代から始まっていたのでは?
1970年頃、高給なナイトクラブやキャバレーで働く女性の日当は10.000円程だった。
一般サラリーマンの月収平均が58.400円の頃だ。
女性の方はチップを含めると相当の日当になった。
現在では、15.000円からという店もあるが、当時の価値とは相当違う。
つまり、1970年辺りから2022年現在まで水商売関係は、さほど変わっていないという事だ。
ということは、価値観の多様化から飲む人が少なくなったのかもしれないが、経済的にはさほど豊かになっていないということだ。
「自然体」とは自分自身の気持ちや閃きにしたがって生きている人をいう
自分自身を優先させて生きている人を「自然体」と呼ぶ事が、「自然体」という言葉のより本質に近いものではないかと閃いたのだ。
もちろん、もっと考えてみなければ分からないが、取り敢えずはこの解釈で進んでみようと思う。
という具合に、この場合なら私自身が「自然体」、つまり、私の閃きにしたがって生きているという事になるのだ。
気持ちが言葉になった、それが本当に嬉しかった。何十年もこんな感覚になった事はなかった。
こんな嬉しい事には、何十年も巡り合っていないのではないか。
単に見知らぬ人と一言二言言葉を交わしただけなのだが。
純粋に「気持ちが言葉になった」事が本当に嬉しかった。
言葉が場を和ませる、大阪下町の本音合戦
大阪の稽古では、私と最年長のおばあさんとのやり取りが、そのまま「場」を作り出す。その事で周りに笑いの渦が起こる。
それが大阪独特のサービス精神だ。
そこを取り出し「人生はサービス業」だと以前は話していたこともある。









