受講者の変化が嬉しい、それがワークショップを開く醍醐味だ
「こいつは何や?」と初日に思った人の目が、今日は生き生きとしていた。
「おお、ええやんけ!でも、もっと行けるから気合をいれや」
「ありがとうございます。昨日言われてからホテルに帰り、鏡とにらめっこをしていたら、ほんとに生気のない死んだ目でした。これではいけないと奮起しました」
そうだ、私が言ったからそうする、ではなく、私が言ったことが本当かどうか、自分としてどうなのかを確認する必要があるのだ。
そして、自分自身で気付く。
それに勝るものはないのだ。
50代の女性が指2本だけで男性を沈めた。身体を意識化するとそうなるのだ。
「指先を伸ばす」というワークで、「指先を頭は知っているのか?」を検証した。
するとやはり「指を伸ばして、そのような運動」になるが、「それ」にはならない。
指先に刺激を与えて改めて指先を使った。
そうすると10中8,9の人達は、それが出来た。
武道的に言えば、たったそれだけの事で「力を出した」のだ。
50代の女性が、40代の男性を沈めてしまったのだ。
つまり、自分が何をしているのかを知る為には、身体操作以前に、本当に身体を知っているのか?あるいは、身体を使っているのか?を個人が徹底しなければいけない。
ワークは新しい運動を知るのが目的ではない、運動を通して身体を知る事だ。
ワークは、単純な運動を指示し、それをどう取り組むのか?身体に対してどんなアプローチをしているのか?を視る。
つまり、ワークは運動ではなく、「その人がどうするか」があり、そこから「自分自身に気付いていく」がテーマだ。
それが現在のメインテーマだ。
中々書けない、コロナだから?もうええわ。
バタバタしていたりwebページ作りで時間を喰ったりで、中々書けない。という間に1月も後半に入った。 体感的には「まだ?」という感じがしないでもない。色々ある時の時間感覚はそんなものだ。 2月に入ると大阪と沖縄のワークショ […]
腕は持つのではなく添えるのだ。そこからが「相手に触れる」の入り口だ
先日の「大阪・明鏡塾」は、基本的な「腕の重さを感じる・腕にそえる」に力を入れて稽古した。
実際やってみると、それこそ「知っている」と「出来る」の違いをまざまざと知る事になった。
同時にこちらの「余計な力みは、相手に緊張を強いる事になる」という実際も全員改めて体感した。
もちろん、無意識的なので相手に緊張を与えている事も知らなかったのだ。
つまり、自分の事には注意を払っても他人、この場合は肝心の患者さんや利用者さんには無頓着だったという事を、改めて知る事になったのだ。
自分を研ぎ澄ます実際的な学びが目的の人にこそ、「日野武道研究所」に来て欲しい。
神田道場の稽古では、年明けから「型」に重きをおいている。 黒帯がやる型を、他の黒帯が見て感じた事、あるいは間違っている事等々の意見を出し合わせる稽古だ。この事で「何を見ているのか」が、第三者に表現される。表現された事で「 […]
ポイントがずれると、人は相当厄介な生き物になる
昨日は神田道場稽古始めだった。 長年伝統空手やっている人がおり、その人は自分の動きにリズムを取る。「???」 順番を覚えるには良い手段だが、実際に約束組手をする時には邪魔にはなるからリズムを取るのに良い所はない。それは自 […]
「天使のダミ声」を体感しに行った。何回か叫んだ「きむら!」と
「お前、まだ死ぬなよ!」思わずこころの中で呟いた。
私と70年代のフリージャズシーンを戦って来た、戦友のベーシストと何故か被ってしまったからだ。
木村の危うい姿と哀愁を帯びた声、そして歌が、それを彷彿させたのかもしれない。
「そのままやんけ」つまり、嘘の無い在り様だから、その言葉がまるっぽハマっている木村。
二度とこんなミュージシャンは出て来る事はないだろう。
歌を聴きながら、姿を見ながら、トークを聴きながら思った。










