習えない事
自動車の運転が出来ない。
で自動車教習所に行き取得できた。
その事と、運転が上手に出来るようになるのは、全く別の問題だ。
上手に出来るようになるには、「何を上手とするか」を自分で持っているから、その自分なりの「上手」が出来るのだ。
そして、当然そのことと「他人よりも上手にできるか」は、また別の問題だ。
他人が何を上手としているかが自分とは違う。
そうなると、運転技術や運転について、他の要素を拾い出す必要があり、それらを比較できるものと出来ないものとに分けなければいけない。
と細かく考えていくと、「自動車の運転が出来ない」から「出来る」までには、相当色々な道筋がある事が分かる。
この中で「出来ない事・習えない事」も含まれている。
例えば、スピード恐怖症というのがあったとしたら、それだ。
だから、高速道路は走れない。
40㎞出すのが関の山だったとする。
ある時、子供の容態が悪くなり救急車を呼ぶことになったが、出払っていて直ぐには来れない。
であれば、自分が運転していかなければならない。
そんな自分の必死の必然がスピード恐怖症を一瞬で解消する。
いわゆる、火事場のバカ力だ。
習える事と習えない事がある、ということで、一番大切な事は全て習えないのだ。