身体を表現の一部として

沖縄の初日、バレエの先生と生徒に「舞台表現としての身体」について話と稽古法の一端をやった。

これはリクエストもあったが、私自身が整理をしなければと思っていた事だ。

そもそもは、「身体は表現の道具の一つである」という意識を持っているのか?という問い掛けから始まったものだ。
もちろん、ある意味ではそういう事を知ってはいるだろうが、実際として「では、それはどうすれば実現するのか?」と問い掛け、どんな手段を講じて来たのか?と問うと、きっと曖昧な返事になるだろう。

これらは、舞台表現をしている人が使う「空間」とか「意識」という言葉が、何を指しているのかが舞台から見えないからだ。

また、私がよく使う言葉の「流れに乗る」「音楽の中に入る」も、実際にはお目にかかった事は無いが、そういった類の言葉をよく耳にする。

それらは、どういう稽古をすればその実際が舞台に現れるのか?そこの稽古法だ。

「意識や自意識が直接的に働いていると身体輪郭はボケる」
つまり、存在感は見えて来ないのだ。

また、「関係性とは」を具体的な動きで見せ、それを少し稽古した。

先ほどの「意識や自意識が直接働かない動きとは」は、だから「感覚を使う」のだ。
その手本を見せてみた。

これらは全部、私のワークショップでは定番のワークの中にある。
それに気付く人は「そうか!」となるが、気付かない人はワークそのものしか見えない。

ま、どんなことでもそんなものだ。

2005年、フォーサイスカンパニーでダンサー達からの質問を受ける

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