「相手に」が大事であって、自分がは半分しかないのだ

武道の稽古は、自分を知る事になるし、稽古をする生徒達の仕草や取り組む姿を見る事で、今何を考えている、あるいは、何を思っているかを知る事が出来る。
それらは、全部自分自身を振り返る材料になる。

「他人のふり見て我が身を直せ」だ。

体格差のある人同士が、体重移動の稽古をしていると、体格の小さな人が思い切り頑張っている事が多い。
「自分として頑張っている」としか見えない。
つまり、「相手の人に」が抜け落ちているのだ。

目的は「相手の人に効かせる」なのだが、その肝心の「相手の人に」が抜け落ちているのだ。

ここはコペルニクス的転回が必要なのだ。
それこそ、「自分としては」相手の人に、なのだが、その実際は「私だけが頑張っている」だけになってしまっているのだ。

きっと9割りの人がそうなのだと思う。
後の1割は、無意識的に「相手の人に」に気付いてそうしているのだろうと思う。
つまり、生命体としての「関係」は体感も実際も無い、という事だ。

相手の人に効かせる為に、様々な技術があるのであって、技術の為にその技術があるのではない。

これは、仕事も同じだ。
自分がいくら頑張っても、その頑張りが噛み合わなければ効果は出ない。
もっと言えば、いくらスキルを持っても、あるいはスキルをアップしても、「どこで」あるいは「誰に」が現実的に自分になければ、一切役に立たないのだ。

「武禅」では、この「相手に」という自分にとってのリアルな他人、リアルな現実を体感する事。
そして、そこから自分自身を構築し直すという事を稽古するのだ。

10月8.910日の「武禅」は残り3席です。
参加希望の方は急いでください。

その「人」に

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