仕事とは、自分そのもの、自分自身を知り成長させる3
2006年のブログを、生徒が貼り付けてくれていた。
つまり、競技であれ何であれ、見かけは運動技術という「技術」なのだが、実際的にはその人の内面が身体を動かしているし、内面が身体に影響を与えている。
もちろん、そこには思考も感情も含まれている。
どんなことでも「何が何でも」が結局勝者になる。
仕事であっても人生であっても同じだ。
しかし難しいのは「何が何でも」と改めて『思うことではない』ことだ。
日頃、何が何でもという気持ちのない人が、突然何が何でもという気持ちになれるはずもない。
そんな人は「思ったらいいのですか」と逆ギレではないが、逆質問をしてくる。
そうではなくて「良い結果を欲しいのは私ではなくあなたでしょう」と、まるで小学生同士の会話のようになってしまう。
「思ったらいいのですか」で、そのことが他人事になってしまっていることに気付かないのだ。
病気の回復でも勝負だ。
「今聞いた方法をやれば、良い結果が出るでしょうか」
「良い結果を出したいのはあなたでしょう。それにやっていないのに、どうして今結果の話をするのですか」
こんなやりとりを30年は繰り返している。
どういうことだろう?
どうして、何10年も同じことを言い続けていなければならないのか?
「仕事」に対する姿勢、それは大きく言えば自分自身の生きる姿勢だ。
「何が何でも」は、自分自身の生きる様でしかない。
自分をおざなりにして、いくら知識を得ても、いくら金銭を得ても、自意識は幼いままだ。
当然、社会に対して、あるいは他人に対して、その幼い自意識が向かっているのだから、全ては対症療法だ。
であれば、根治しない、つまり、自分の自意識は成長していないままだ。
「仕事」は「私そのもの」と書いた。
その姿勢、その意識があるから、仕事を通じて自分自身の長所や欠点が浮き彫りに見えて来る。
だから、その長所や欠点を修正したり、伸ばしたり、つまり、自己管理が出来るのだ。
決して、他人に指摘されても人は言う事など聞かないし、他人のいう事は「他人のいう事」であって、私ではないのだ。
そんな当たり前の事に気付かないというのは、一体どんな人生を歩いて来たのだろう。
そこが何時も不思議でならないのだ。