固定観念が崩れると見えるものが変わる

オット、8月になってしまった。

「大阪・明鏡塾」もコロナのおかげで、受講は半分しかいなかった。
おかげで、「関係」に深く挑戦した。
今期が初めての人には「???」だったが、それなりに取り組んだ。

全員、改めてそれぞれのワークの高度さに感嘆し、来季から心新たに挑戦することを誓って別れた。

ワークは高度だ。
それは、それだけ受講者に伸びしろが出来ると言うことでもある。

1期から連続で受講しているベテランの柔整師は、「少しは上達したかな、と思っていましたが、根本的に違うと言う事が今回分かりました。」と言っていた。
6講座目の「触れる」ワークで気付いたものだ。
そう感じ取れている、と言う事が上達なのだ。

感覚が研ぎ澄まされて来るから、見えないもの触れないものが見えるようになって来ている。
もちろん、これは文字通りの事ではない。

感じ取れなかったことや、見れなかった物に対して視野が広がったり深くなっているからだ。

ある意味での、自分の持つ固定観念が取り払われて来たという事だ。

もちろん、時間が掛かっているが、それでも相当短時間だ。

短時間になっているのは、「手本がある事」「実践する意識が高い事」「結果を疑っている事」これらが備わっているからだ。
皆んなの来期の進化が楽しみだ。

道場修理はカメの歩みの如くだ。

明日から沖縄ワークショップだが、集まりは悪い。

手での感覚を研ぎ澄ませなければ、目的の部位に到達しない。
同時にむやみやたらと押す事で無駄な力や、患者さんの負担が増える。
肘の内ら側から外の肘の一点を狙うと

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