2022年10月
道場建設はここから始まった、実は私が一人で稽古をしたいから建てようと思ったからだ2
私一人で稽古をする小屋のつもりが、弟子たちが付いてくるというので、大きな建物が必要になった。そこで考え出したのが。
道場建設はここから始まった、実は私が一人で稽古をしたいから建てようと思ったからだ
1984年1月、私は36歳だった。武道を一人で稽古する為に道場を建てようと思った。小さな小屋を建てようと思った。小さな小屋なら誰でも建てられるだろうと思ったからだ。
本気?誰でもどこでも本気だろう?そうとは知らないのは自分だけだ
私達は、その生物としての生と死を無視し、様々な価値観や頭の中にある言葉を全うする事を人生と呼んでいるので、話がややこしくなるし生物としても弱いのだ。もちろん、生物としての生と死は、人生と密接に繋がっている。交通事故に合い生死の境をさまよったとしたら、「ちゃんと生きよう」あるいは「生きていて良かった」と思う人が大半だろう。それは生物としての生死を自覚したからだ。
5mのパイプは重たい、持ち方を間違えると振り回される
屋根修理をするのに、パイプで足場を組む。組む時は倒れないようにと念を押して組み上げる。解体は倒れないように外していかなければいけない。
何を感じているのか?を教えるのは難しい。それぞれの感性を大事にしたいから
昨日は「大阪・明鏡塾」だった。 「触れる」相手に触れている時、私が何をしているのかを教える事は出来ない。意識的に、あるいは意図的には、何もしていないからだ。 ただ入って来る情報を捕まえている、ただそれだけだからだ。 教え […]
自分は一体何をしているのだろう?それは頭に隙がある事だが
ほんとに一瞬「自分は何をしているのだろう」と頭をかすめる時がある。そんな時、2通りの言葉が頭をよぎる。
一つは「しやないなぁ」一つは「これやってるで」だ。どちらにしても、深い意味はない。頭に隙間があった、それだけだ。
心のケアという前に、どうしてこころを鍛えないのか?
「嫌われる勇気」というタイトルには驚いた。どうして嫌われるのに勇気がいるのか。「好かれたい」って何だ?そんなことより、自分のやるべき仕事や、やるべき事に精を出せ。
短時間で良い目になった、比例して声がぶつからなくなった。
「東京・明鏡塾」だった。 今期は認知行動療法の医師が受講している。となると患者さんとの会話が必須だ。そこで本当の意味で会話が出来る事は、病状の治癒や改善が早くなるという事に繋がるのだ。
頭と行動の隙間は驚くほど深い、それを知らなければ行動にかかれない
思っている事を行動するのは難しい。むろん、難しいと分かっている人は、思っている事を行動した人だ。それをやった事のない人は、残念ながら「難しい」と知っているだけだ。
105回武禅一の行は終わった。
秋の「武禅一の行」は終わった。100回目の「武禅」も5年前の丁度この日だった。今回沖縄から受講してくれたN君が教えてくれた。 「100回目はピーンと張り詰めた空気が最初から最後まであったけど、今回は何か緩いですね」と休憩 […]