心のケアという前に、どうしてこころを鍛えないのか?
一寸前に「嫌われる勇気」という本が売れた。
私はそのタイトルを見て驚いた。
「嫌われる為に勇気が必要なのか」という驚きだ。
それは裏を返せば「嫌われたくない・好かれたい」という言葉があり実際にそういう人がいるからだろう。
もちろん、そのどちらの言葉も、言葉として有るのは理解出来るが、実際としてある事に驚いているのだ。
先日の「明鏡塾」の時、「自分の周りの人には好かれたい」という人がいる事を聞いて、思い切り驚いた。
「歳は幾つ?」という話だ。
こういったメルヘンチックな想いは、精々思春期で解決されているものだ。
そう言えば私が40歳くらいの時、息子を含めて若い人は私達と比べて10年は幼いと感じていた。
今となると20年かもしれない。
原因は、今の親が幼い事、子供の頃に子供同士で揉まれ合っていない事。
これは、完全に間違った教育環境のせいだ。
この「幼い」というのは、気持ちというかこころというか、それが育っていないから恐ろしくストレスに弱いのだ。
身体の免疫という機能があるのだから、そういった内的な免疫もあるだろう。
それが育っていないところに、やれ「受け入れる」だの「許す」だの、本来日本では使わなかった言葉や考え方が沢山あるから、余計に強くなれないのだ。
それは、その人個人の問題だから幼くても自由だ。
ただ、その気持ちの弱さは、自らを病気にさせる可能性が高いし、周りに迷惑をかける事も出てくるのだ。
世の中、人はそれぞれに違う。
自分の幼い想いが通じる筈もないのだ。
そんな事を思春期前に、あるいは、思春期で気付かないのは不幸としか言いようがない。
それに連れて感性も恐ろしく鈍くなっているという事でもある。