何を感じているのか?を教えるのは難しい。それぞれの感性を大事にしたいから
昨日は「大阪・明鏡塾」だった。
「触れる」相手に触れている時、私が何をしているのかを教える事は出来ない。
意識的に、あるいは意図的には、何もしていないからだ。
ただ入って来る情報を捕まえている、ただそれだけだからだ。
教えられない理由はもう一つある。
もしも私の意識に浮かんでいる事を言葉化してしまえば、習う人は「それ」を目指してしまうからだ。
そうなると、人それぞれが感じている感覚を一つの方向に向けてしまう、つまり、自分としての感覚を閉ざしてしまう危険があるからだ。
ここがものを教える時の一番難しいところだ。
感覚する一歩手前までは指導できるが、感覚そのものは個人のものだ。
もちろん、それは武道とて同じだ。
手順や身体の使い方は指導できるが、体感覚や接触感覚そのものは一般化された、例えば「ねじれている感覚」以外は、それぞれ個人のものなのだ。
だからこそ「形」や「動き」という目に見える部分が重要になって来るのだ。
そこをそっくりにして、同じ感覚を得ようと頑張れるからだ。
その意味でも、形態模写能力が重要なのだ。
幼児が大人の言葉を真似て、言葉を憶えて行く過程と同じだからだ。