道場建設はここから始まった、実は私が一人で稽古をしたいから建てようと思ったからだ2
「そういえば」紀伊田辺の方に来て小学生の頃を思い出した。
ほんと、人は何かに意識が向いている時は、何かを忘れるものだ。
こっち方面は、小学生の頃夏になると毎年遊びに来ていた所だ。
曾祖母の親戚があったからだ。
その頃は、白良浜で日が暮れるまで泳いでいた。
「何か縁があるのかな」とも思った。
22歳の時、フルート吹きの叔父と豊中の蛍池で住んでいた。
叔父の後輩にあたる音大の生徒達や、私のジャズの仲間が何時も泊まっていて、クラシック音楽の話ジャズの話、果ては演奏まで毎晩やっていた。
その家が、私達の留守中に裏手からの火事で全焼した。
住む家が無くなった時、白浜温泉に来てこちらのプロダクションにお世話になり、音楽の仕事をしていた事もある。
そんな事を思い出した。
自動車は目的の近露に到着。
青年団のお父さんに先ず面会。
何と青年団にいた彼は、お父さんに私達の事を話していなかったのだ。
「ええ~~」驚くと同時に突然来たことを詫びた。
お父さんは面倒見の良い人だった。
私の話を聞くと、、、、そうか、これを書いていて思い出した。
この時点では、既に大きな建物を建てる事になっていたのだった。
そうか、私が一人で山籠もりをすると言い出した時、弟子たち数人が一緒に住むと言い出したのだ。
仕方が無いので、皆が住むのだったら大きな建物が必要になる。
集合住宅だ。
当初、建て易い事を考えて連なった長屋を考えた。
だが、そうなると設備が大変だ。
トイレや風呂が個別に必要になるからだ。
で、この案は却下。
そこで全員が住み、部屋を弟子の数だけ作れば良いと考えた。
本当は円形にして、真ん中に道場が一番なのだが、円形など作れる筈もない。
あの建築パースは、そこから考えている途中のものだった。
平屋で7角形だ。
7角形に何の疑問も持っていなかった。
「どうして?」何も知らないからだ。