2018年4月

ワークショップ
見たままやる2

見て出来るならこれほど楽なことはない。しかし、見て出来るのが、これまた人間の不思議なのだ。実際は、こちらの方が不思議だ。不思議な技というのは、「合理的な」、ということの象徴だと考えれば良い。もちろん、そこを越えようとする […]

続きを読む
武禅・自分を知る
絶対に井の中から出ないこと

昨今、自己啓発系のセミナーで、武道を取り上げられている。私も講師として招かれたことがある。それは、大きく言えば嬉しい事だ。日本が世界に誇れる、身体文化だからだ。もちろん、この身体文化というのは、精神や自意識の成長を含まれ […]

続きを読む
伝統武道
武道ということ2

「何を言いたいのか分からない」と、何時も首をかしげてしまう。それはネットにある言葉だったり、会話での事だ。それこそ昨日の「インチキ」の話ではないが、どんな「質・レベル」で、その言葉を使っているのか分からないからだ。その言 […]

続きを読む
伝統武道
インチキは無い

「先生のやっていることと似たようで、全く違うことをやっている動画が沢山ありますね」そんな話を昨日生徒の一人がしてきた。もちろん、似たようなことになって当たり前だ。やっているのは人間で、その構造が同じなのだから同じようなフ […]

続きを読む
稽古
日常の自分を超えた時、

自分にとって普通のこと。つまり、日常生活のなかで無意識的に行っていることは、全て「自分にとって普通」だ。その普通の自分が、普通ではないこと、例えば、英語を話せるようになりたい、とすれば、英語の勉強をする、それは自分が日常 […]

続きを読む
伝統武道
セッカチの効用

神田道場で棒を使ってみた。悠々と出来るのが嬉しい。地下にしたら天井が少し高いからだ。身体のあちこちにある古傷が痛むが、やりだしたら忘れてしまう。だから、治りが悪いのだろうが仕方が無い。性分だから。 しかし、このセッカチと […]

続きを読む
人生波風一杯
先のことなど知らないし分からない

どんなことにも終点は無い。但し、そこに必要なのは、何時も書いている「好奇心」だ。これがある限り、どんなことを探求しても終点は来ない。もちろん、終点、つまり、結果を求め、その結果が自分の満足のいくものであればそれで良い。 […]

続きを読む