セッカチの効用

神田道場で棒を使ってみた。
悠々と出来るのが嬉しい。
地下にしたら天井が少し高いからだ。
身体のあちこちにある古傷が痛むが、やりだしたら忘れてしまう。
だから、治りが悪いのだろうが仕方が無い。
性分だから。

しかし、このセッカチという性分だから、次へ次へと進んで行けるのではないかと思う。
ここで「即席は所詮即席」という事を書くが、即席・安易なに匹敵するくらいの早さをもって、より深いところへ行きたいのだ。
でないと、私は面白くないのだ。

人が10年かかるなら5年で、30年かかったなら10年で、と考えてしまうのだ。
10年かかるなら5年で、というが、その5年の内の4年間くらいは失敗だ。
その失敗というか実験や仮説を試して行くことが、次の1年で結果をもたらしてくれるのだ。
その結果としての最後の1年も、9割は試行錯誤だ。
残りの1割で見極めるという程度だ。
そこまで行くと次に行くところが見えてくる。
そうすると、意識は次になっているので、5年かけて出来たことは、既に忘れているということだ。
それがセッカチの効用だろうと思う。

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