先のことなど知らないし分からない

どんなことにも終点は無い。
但し、そこに必要なのは、何時も書いている「好奇心」だ。
これがある限り、どんなことを探求しても終点は来ない。
もちろん、終点、つまり、結果を求め、その結果が自分の満足のいくものであればそれで良い。

しかし、結果は一つではない。
という具合に考えるのも「好奇心」だ。
結果は一つではないということは、一つの結果は大きな結果の経過ポイントに過ぎない、という発想だ。
もちろん、この時にどんな大きな結果を望んでいるのかが無くてもだ。
それは、大きな結果を望んでいなくても、好奇心が働けば気付くものだ。

50年前、私が稽古をしたいだけ、訓練を積みたいだけ、と始めた武道だが、いつしか道場を持ち、海外にまで指導にいっている。
50年前には、一切望んでいなかった。
先日久しぶりに、同級生の歯医者に行った。
治療後奥さんが「日野先生、30年前に現在の様な展開になると分かっていました?」と聞かれた。

30年前に、歯科医の同級生と同窓会で会い、治療をやってもらうことになったのだ。
もちろん、現在の展開など分かっている筈もない。
当時は、目的も結果も何もかも全く無かった。
好奇心の趣くまま、ひたすら武道を探求していただけだ。

その時は、「歯」と「身体全体のバランス」ということで、かみ合わせ等を同級生と実験することになった。
当時、それが学会発表やセミナーに広がった。
だから、頻繁に同級生の家に泊まり、あれだこれだと「歯と身体」について探求していた。

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