日常の自分を超えた時、
自分にとって普通のこと。
つまり、日常生活のなかで無意識的に行っていることは、全て「自分にとって普通」だ。
その普通の自分が、普通ではないこと、例えば、英語を話せるようになりたい、とすれば、英語の勉強をする、それは自分が日常的に普通に行っている行為ではないことだ。
その普通ではないことを、普通という状態にした時、多分、英語の勉強は捗っているだろう。
同じように、「何かをする・したい」ということは、普通の自分ではないことから、その事を含めて、普通の自分にすることだ。
武道の場合、普通の自分の何を特化させ、普通にしなければならないのかを考えなければならない。
もちろん、動作的なこともあるし、感覚的な事もある。
考え方もある。
という具合に考えていけば、大きく「武道をやっている」といっても、普通を超えて特化している事がなければ、「武道はやっていない」のだ。
これを治療家というところで考えると、自分のレベルが見えてくる筈だ。
普通の自分が医学部か、専門学校に入る。
机上で学ぶことは、日常ではない。
そしてそれぞれに特化した行為も学ぶ。
もちろん、これも日常ではない。
そういった外装を、非日常で整えて行き、それが普通になる。
しかし、わざわざ外装としたのには訳がある。
ここに抜け落ちているのは「感覚」と「関係」だ。
日常での普通の感覚と、自分として普通の関係に対する認識しか持ち合わせていない筈だ。
であれば、外装以上の何が特化しているのか。
そこを考えなければならない筈なのだが。
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