武禅・自分を知る
挙動不審と思われても関係ないで
2017年10月5日
成長の自動運動は、日常は何も変わらない。誰かが見ても、ということだ。でも、しまいには何をやっているのかは分からなくなる。 「日野さんは何時稽古をするのですか?」と聞かれると、「何時も」と答える。その何時もになるということ […]
現場を持っていても、持っていない人もいる
2017年10月3日
現場を持っており、自分に突き付けられている環境があったとしても、自分に突き付けない人もいる。 もちろん、それも自分では気づいていない人だ。 これは厄介だ。 自分で気付いていないのだから、「あなたはこうですよ」と第三者から […]
わたしと私、何時で会うのだ?
2017年9月28日
わたしの対象者がいなくて、全てがわたしの思いにとって代わる。 これは、一言でいうと自意識が幼稚と片付けられる。 しかし、それは本質だが直接そこには手を出せない。 幼稚ということの症状を一つ一つ改善するしかないのだろう。 […]
逃げ道を用意している
2017年8月9日
「武禅」の真骨頂は、相手と向かい合う事だ。それを「正面向かい合い」という言葉で表している。だから、多くの人は「向かい合いたい」という。 向かい合う、というのは、単なる形だ。そこには「この人と向かい合いたい」という気持ちが […]
自己分析をする人の不思議
2017年8月9日
昨日の続きになるが、書かれている言葉で分からないものが沢山ある。 その多くは、自己分析しているものだ。 例えば、「○○な相手を受けて入れられないが、受け入れられるようになりたい」とか「××な私ですが、○○になりたい」とい […]