挙動不審と思われても関係ないで

成長の自動運動は、日常は何も変わらない。
誰かが見ても、ということだ。
でも、しまいには何をやっているのかは分からなくなる。

「日野さんは何時稽古をするのですか?」と聞かれると、「何時も」と答える。
その何時もになるということだ。
もちろん、挙動不審に思われている事も多いと思う。
しかし、人が何と思っても私には全く関係が無い。

「他人にこう見られたくない」「他人にこう見られたい」「他人からこう思われたい」と、暇な事で頭を駆け巡らせている人とは真反対だ。
逆に、どうしてそんなことを思いつくのか、さっぱり分からない。
どうして、自分のやるべきことに自分の方向が向かないのか不思議でならない。
そう思う人に限って、その為に何をしているかというと、まるで週刊誌のコピーのような言葉を真に受けたような行動をしている。
もちろん、知能の問題ではない。
では何だろう?「幼い」というしかないだろう。

岡山の時に書いたが、競輪の選手が顔を見せてくれた。
その時、ペタリングでの踵の使い方を説明した。
彼は試して見るといって帰った。
即メールが来て「問題が解決した」との事だった。
彼も誰からどう思われようと全く意に介さない一人だ。
ひたすら練習をする。頭の中は自転車の事、原理の事、それだけだ。
何年か前に京都のワークショップに顔を出してくれた時、休み時間にカフェに行った。
しかし、そこでも自転車の話に終始する。
二人で立ち上がって、フォームの話、身体のどの部位をどう動かすかの話を、身振り手振りでする。
他の客はどう思っただろう?
そんなことは、一切関係が無い。
挙動不審であろうがどうだって良い。
逆に、「面白い事をしているな」と思う感性の人がいないかとは思う。
そして、彼、競輪選手は他の選手からは、何を練習しているのかも、何をどうしているのかも見えない。
そういえば、彼のエピソードで海外からチャンピオンが来て、一緒に走ったそうだ。
走り終わってから、筋肉の細さを指摘され、もっと食べて筋肉を付けなければ駄目だといわれたそうだ。
そしてチャンピオンから腕相撲を仕掛けられた。
もちろん、チャンピオンは筋トレで身体を作っているから、腕も足も太い。
チャンピオンは軽く勝人思ったのだろう。
ところがやってみると、簡単に負けてしまったのだ。
当たり前だ。
連動を使える人間に勝てる筈も無いだろう。
といっても、誰もそれは分からない。
彼曰く「勝ったら駄目ですね、人間関係が悪くなりますから」

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