究極の向かい合いは

あっという間に「武禅」は定員をオーバーしてしまった。
現在、キャンセル待ち。
でも、今回は受講者に余程の事が無いとキャンセルは出ないだろう。
それくらい熱が入っているからだ。
こちらとしても、それをがっぷり四つで受け取る準備をしておかなければ、体力が持たない。
「武禅を受講したいけど、仕事の予定と合わなくて」と何時もこぼしていた大学の先生。
その先生は、一昨年スキルス性胃がんで亡くなられた。
死に際は、まことに美しく、そして潔く亡くなられた。
「武禅」に来なくてもちゃんとやれているよ。
生きている人にとって、最難関の向かい合いは、自分の死だ。
そこを冷静に見極めて、その姿勢を最後まで崩さずに安らかに息を引き取られた。
そういった体験が、「武禅」の本質の中に潜んでいる。
ちゃんと目の前の人、目の前の出来事と向き合えていれば、それは最終的にそこに繋がる。
もちろん、繋げるのは自分なのだが。
自動的には何も繋がらない。
どんなことでも、自分次第なのだ。
そういえば、その先生に「美しい動きを何時も見たい」と、私の型を見て言われていた。
もっと、教室で型をやれば良かったかな、と思い出す。
思い出は思い出なのだが、こちらの取り方で現在を変えてしまう事も、未来を変えてしまう事も出来る。
過去は変えられない、あるいは未来は分からない、というが、意外とそうでもない。
もちろん、現在もそうだ。
状況は変わらなくても捉え方で、天国にもなれば地獄にもなる。
しかし、それらは、そう出来る自分を作っているのかいないのかが決める。
ある人には、過去は変わらないし、現在も未来も変わらないのだ。

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