逃げ道を用意している
「武禅」の真骨頂は、相手と向かい合う事だ。
それを「正面向かい合い」という言葉で表している。
だから、多くの人は「向かい合いたい」という。
向かい合う、というのは、単なる形だ。
そこには「この人と向かい合いたい」という気持ちが有るのか無いのかしかない。
その意味で、その気持ちのある人には、容易い事になる。
最初の頃の「武禅」で、そんな人がいた。
「向かい合い?こうですか?」そこはフリーパスだった。
定年近い男性だった。
その人は、完全にこころが開いておられたので、別段何をどう修練したのではないのだ。
ここが肝だ。
つまり、「武禅」でやっていることは、普通であり当たり前のことだ。
では、どうしてその他の人には難関になるのか。
それは何時も書くように、特別の事にしてしまっているからだ。
もちろん、それは自分の意識がそうさせているのだ。
意識がそうさせる。
ここを難なくクリアした男性は、こころが開いていた。
ここは天と地程の差が有る。
意識的に、であれば、永久に出来ない。
「気持ち」だ。向かい合おうと「している」人は、気持ち悪い以外の何物でもない。
あるいは、「何をしているのか分からない」と他人からは見える。
今回は「明鏡塾」を受講している理学療法士、看護師や医師も受講する。
彼らは間違いなく病気や病状と向き合っている。
でなければ、的確な治療など出来る筈も無いからだ。
本当は、誰でも何かと向き合っている「筈」なのだが、残念ながら怠惰な日常、全てが自動運動のように進む日常では、その能力も退化しているのだろう。
だから、わざわざ「向かい合おう」となるのだ。
そういった人達と混じって、修羅場を築ければ最高だ。
だが、大方の人は逃げ道をちゃんと用意している。
だから、折角のチャンスに自分に王手をかけられないのだ。
それに気づくか否か。
「武禅」残り1席です。