武禅・自分を知る

武禅・自分を知る
他者評価に依存しない

以前、少し書いた北海道にお住いの植松さん。たまたま、その植松さんのブログを見つけた。 https://ameblo.jp/nyg1t10/entry-12413660067.html?fbclid=IwAR351txrM […]

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秋晴れに想う

一夜明け、快晴の中近くのコンビニへ。 ふと、「自分は一体何をしたいのだろう?」と、何時もの疑問が頭をもたげてきた。 昔「浮き草稼業」という言葉があり、それは水商売の人たちを指していた。「浮き草か」と思った時、まさにそれだ […]

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場ということ

「分かる人には分かる」と言うと、それでは駄目となる。分からない人にも分かるように??が現在の風潮だ。 「分からないから」という、自分自身の知的好奇心を触発させたり、溢れさせる、いわゆる、自己教育とでもいうべき風潮はない。 […]

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トラウマというのは

愚息が孫を連れて初めて帰郷、道場へやってきた。明日には帰ってしまうが、3日間タップリと遊んだ。愚息と子供のやりとりを見ていると、父親というよりも、小さな連れに対しているようだ。もちろん、それが良いだの悪いだのという話では […]

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世界が狭い

特に若い人を見ていて「世界が狭い」という言い方をする。そうとしか言えないからだ。 逆に、私は何をどう見てその言葉になっているのか?だ。確かにその動作というか、所作というか、対象のものに触れている「手」は窮屈だ。と見えてい […]

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自己肯定よりも好奇心を

筋力系で、力任せに相手を倒す。これは、普通に普通だ。だから、倒した人の筋力の強さや、投げ方のうまさを殆どの人は評価できる。ま、評価というよりも解釈といった方が良いかもしれない。つまり、そこで起こった事象が、自分自身の持つ […]

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小汚い顔

ネットを徘徊していると、もっともらしい言葉が溢れているのに驚く。どんな人が書いているのかと思い、プロフィールを見ると驚く程若い人の場合もある。どうして、若い人がもっともらしいことをいうのか、そこのところがわからないのだ。 […]

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永遠の課題「何を?」

何を見ているのか、何を聞いているのか、「何を」を何時も振り返る。ジャズを聴く。リズム、メロディー、ノリ等々。もちろん、音楽と定義されたものの要素はそれらだ。だからと言って、それを聴いているのではない。その総体だろう。 あ […]

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自分に気付かない?

「お前、本気でやれや」とよく言う。そんな時の反応で、今後どうなるかが見える。「やっているのですが」という人、「はい、そのつもりですが」という人、無言の人。 逆に、どんな時にその言葉「本気で」と言うのかを分析してみた。大方 […]

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間違っても続けていく

屋根修理は、着々と進んでいる。しかし、今回の修理は間違った。寸法の勘違いからだが、しかし、そのおかげで別のアイディアが浮かんだ。だから、次の屋根はそのアイディアを使ってやる。 間違ったことでも、そのままやり続け何とか辻褄 […]

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