雄叫びを上げろ!
私は大概のことは自然現象や野生の動物の行動、歴史等を基本に考える。
あるいは、家族などから考える。
それらを参考にして「であるならば」と考えるのだ。
それは、私の持つ間違った観念に惑わされない為だ。
つまり、頭の中に詰まった知識を始めとする情報は間違っている、としているからだ。
そして、それらの情報を整理する判断力も間違っているとしているからだ。
そこから自分自身を形成し直しているのだ。
そういった基本的な姿勢があり、昨日の「重力を使う」も気付いたのだ。
もちろん、それが正しいのかどうかはどうでも良い。
私はそうしているだけのことだ。
それは、武道という文化に取り組んでいるからだ。
その武道史に名を残す人達を実現させたいからだ。
いうならば、幻を追いかけ実体化したいという、馬鹿みたいなことだ。
しかし、それを続けていると、色々な物事を的確に判断できるようになっている事に驚く。
しかし、判断できたところで、それに意味はない。
だから、判断はすぐに捨てる。
私が「そうなりたい」だけ、つまり、究極の自己満足を生きているということだ。
しかし、それがいつしか、他人と瞬時に関われるようになっている。
もちろん、武道は他人との、敵とのやりとりの中にあるものだからでもある。
そんな中で、人間関係が苦手だという人は、何を誤解しているのか、あるいは錯覚しているのかを考える。
基本的に群れで生きるという前提の元に人類はある。
もちろん、その中で例外もあるだろう。
しかし、昨今の人間関係が苦手、それがストレスになり、引き篭もり鬱症状を引き起こしている人の多さを見た時、例外とは呼べない量だ。
だから、誤解や錯覚だというのだ。
まず「こんにちは」や「ありがとう」くらいは言えるだろう。
それを練習なり訓練していくことだ。
それが出来るようになった時、気持ちの何かが変化している筈だ。
人は、自分の力で何かをやり遂げると、心理的影響で身体を含め、何もかもが変化するからだ。
知識を仕入れ納得は意味をなさない、あくまでも、自分が自分だけの力で、行動でが原則だ。
ただ、やれた時「よっしゃ〜!やったぜ!」というような雄叫びが必要だ。
それが自分を変化させる鍵になるからだ。
次は夏ギラギラの沖縄ワークショップ
沖縄ワークショップ8月10.11.12日