時代は変わる
「他人の顔に泥を塗ったらあかんで、顔を潰したら駄目や」
これ等は、人間関係や人との信頼関係そのものを現している言葉だ。
これらの言葉は、小さい頃から祖母や母に言われて育った。
つまり、常に他人を意識させられていたのだ。
それは、自分の行動がどの範囲まで影響があるのかを現しているものでもある。
一つの迷惑が、回りまわって相当の被害を出す事がある、そんな事を教える言葉だ。
そして、躾として学んだ。
もちろん、学んだからといって、それが出来るわけでもない。
そんな意味で、10代の頃はよく迷惑をかけたものだ。
10代とはそんなものだ。
だから周りの人達も大目に見てくれたものだし、そんな事を分かる事が「気遣い」に繋がるのだ。
自分の事しか知らない分からない人、あるいは、自分はこうしたい、という事にしか頭が回らない小学生には、無理な考え方だ。
しかし、そうとも言えない。
それは、例えば「歌舞伎」という特殊な世界では、そういう事は当たり前の事として受け継がれているし、色々な「職人さん達の世界」にも「個人業」の人達の世界にも残っている。
数年前、40歳前の医療関係者に私が「顔を潰された」事件があった。
むろん、「顔を潰した」事は悪い事、やってはいけない事だと思っている私達にとっては事件になるが、それを知らない人にとっては、単純に「自分の思い通りにならなかったから辞めた」だけの事なのだろう。
実際は、直ぐに補充の医療関係者を探さなければならなかったのでてんやわんやだったのだと思う。
本当は、その医療従事者が診ていた患者さんも放りだして辞めたから、医療従事者としては最悪の行為だ。
患者さん達は「え~~」だった。
しかも、退職代行を使っていたので、連絡も取れないのだ。
こうなってくると、現代人とは仕事を一緒に出来ない、となる。
もちろん、こういう事態は、じっくり考えれば訴訟をする事も出来る。
それも大人げないし面倒だ、と考える人が実際の被害者だったから問題は大きくならずにすんだだけだ。
こういった「自分はこうしたい」だけしか考えられない幼稚な人、人は決して自分だけで仕事や生活が出来ているのではなく、多くの人の関係があるからそれらが出来ている事をしらなければ駄目だ。
どこまでいっても「自分はこうしたい、但し、人との関係の中で」なのだ。
そんな当たり前の事を知らない40歳前の人がいた事に、ある意味でショックだったのだ。
いずれにしても、仕事のしにくい時代になったものだし、うかつに人を信じられない時代だとも言える。
5月3.4.5日「武禅一の行」です。後半分くらいになっています。