明鏡塾

明鏡塾
世間とは一線を引いているからのもの

「相手の中に入る」は、最高級難度なのだが、一人が出来ると皆んなが出来るようになってくる。
「場」に影響され「人」に影響され、知らず知らずの中に出来てしまうのだ。
それでも「まだ考えたらあかんで」という。
それは、その人の頭のプログラムが明確に書き変わってからでないと、元に戻ってしまうからだ。
飲み会で一人のベテラン柔整師が「意識や無意識を考えるようになり、治療の方法や治療を長時間やっても全く疲れなくなった」と話してくれた。
確実に進化している人を見るのは、こちらとしても嬉しくなる。
講座の始めに行う「背中を触る」の時、内科医が「この単純に見える動作でも、一人一人違うし、触れた感触も返ってくる言葉も全く違うのは面白いですね」とポツリ。

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福祉の人と医療の人の違いは

福祉の世界と、医療の世界は明らかに違う。
「何が」というと、勉強の量だ。
福祉の人達は圧倒的に少ない。
というよりも、人にもよると思うがもしかしたら学校を卒業したらそれで終わりなのかもしれない。
実際の仕事としては、看護師や理学療法士と変わらないか、もっと高度な現場かも知れない。
にも拘らず、そういった認識も自覚も持たない人が多い。

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腕は持つのではなく添えるのだ。そこからが「相手に触れる」の入り口だ

先日の「大阪・明鏡塾」は、基本的な「腕の重さを感じる・腕にそえる」に力を入れて稽古した。
実際やってみると、それこそ「知っている」と「出来る」の違いをまざまざと知る事になった。
同時にこちらの「余計な力みは、相手に緊張を強いる事になる」という実際も全員改めて体感した。
もちろん、無意識的なので相手に緊張を与えている事も知らなかったのだ。
つまり、自分の事には注意を払っても他人、この場合は肝心の患者さんや利用者さんには無頓着だったという事を、改めて知る事になったのだ。

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本年最後の「大阪明鏡塾」、東京「明鏡塾」での仕上がりに沈黙、でも

クリスマス「大阪・明鏡塾」本年最後の講座だった。 講座はベテランが多いので自然と高度になる。そうなると、発せられる言葉は同じだが、そこの背景に潜む内容に格差が現れる。そこに気付き、自分のヒントに出来るか否かもそれぞれに重 […]

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時間はかかる。誰でも自分の決めた枠があるからだ

それが患者さんに届くかどうかは、治療全体・信頼全体にかかって来る。
特に理学療法士の場合、そう時間をかける事は出来ない。
だからこその「声かけ」→「届ける」なのだ。
何度か繰り返すが、代り映えしない。
もちろん、一般的なレベルでは完全にクリアだが、それでは意味が無い。写真を撮ってみせた。
言葉は無いがそれで充分分かる。

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自分の枠、自分の癖を超えるのは難しい

大阪「明鏡塾」の日だった。 色々「感覚」を錬磨するカリキュラムだったが、基本的なところがおざなりになっているので取り組めない。 それは、私自身の勉強になる。「取り組めないのであれば」と考える事ができるからだ。そこで考え付 […]

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明鏡塾
何を感じているのか?を教えるのは難しい。それぞれの感性を大事にしたいから

昨日は「大阪・明鏡塾」だった。 「触れる」相手に触れている時、私が何をしているのかを教える事は出来ない。意識的に、あるいは意図的には、何もしていないからだ。 ただ入って来る情報を捕まえている、ただそれだけだからだ。 教え […]

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短時間で良い目になった、比例して声がぶつからなくなった。

「東京・明鏡塾」だった。 今期は認知行動療法の医師が受講している。となると患者さんとの会話が必須だ。そこで本当の意味で会話が出来る事は、病状の治癒や改善が早くなるという事に繋がるのだ。

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明鏡塾新規講座が始まった

9月は東京・大阪明鏡塾の新規開講だ。まる1日「関係」を稽古する。稽古と言っても、そこには「触れる」や「気持ちを届ける・聴き取る」という難関があり、それに挑戦していくのだ。

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明鏡塾
固定観念が崩れると見えるものが変わる

オット、8月になってしまった。 「大阪・明鏡塾」もコロナのおかげで、受講は半分しかいなかった。おかげで、「関係」に深く挑戦した。今期が初めての人には「???」だったが、それなりに取り組んだ。 全員、改めてそれぞれのワーク […]

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