人は変わるのではなく成長するものである
昨年12月の「大阪・明鏡塾」での感想文で、「おっと~‼」と驚く文章があったので、皆にシェアします。
現在、大阪明鏡塾には、医師3名歯科医1名、理学療法士3名、柔整師・鍼灸師10名が学んでいる。
「治療技術を教えるのではありません」という考え方を、受け入れる医療従事者がいるのか?と、一抹の不安はないでも無かったが、患者さんとの関係利用者さんとの関係、という「関係」の方が実は大事だろう、という考え方を基に起ち上げて10年になる。
もちろん、受講してくれた全ての人が理解してくれているとは思えないが、大多数の人は理解してくれたと思っている。
中でもその「関係を極める事が、結局は治療や回復・改善への近道だ」と思った人達は、再受講をして学び続けてくれている。
もちろん、患者さんとの「関係」は、その再受講している人の想像を超えて治療に役立っているという。
私としては、それが当たり前だと確信しているから、それを伝えようと「明鏡塾」を開いているのだ。
ベテランの柔整師で、スポーツ少年の治療なら任せろ!と自負している。
その柔整師も、もちろん再受講を続けて3年にはなる。
その彼の感想文だ。
明鏡塾で学ぶようになり、私の施術も大きく変わりました。
外見は殆ど変わりませんが、施術や人体、感情、関係性に対する考え方が大きく変わりました。
例えていうならハードは変わっていないがOSが全く変わったようなものです。
以前までは人体を機械的モデルで考えていました。
一貫した理論があり、それを再現する技術があると信じていました。
そう信じないと人に施術ができませんでした。
だから結果が出ない時、イメージ通りいかない時はまだ理論の理解に不足があるや、施術の実行においで不正確さや技術の未塾があると思っていました。それを克服するため膨大な労力と資金を使ってきました。
実際はこんなに簡単なわけがありません。
物理的な問題だけでなく、現実にはもっと複雑で様々な次元が関わります。
このことに気付いてなかったわけでなく、認めると更に治療というものが難解になるからです。
そこから逃げていたと思います。
特に避けてきたのは患者の心理的な問題です。
これは痛みや損傷治癒に大きな影響があります。
人間を治療するには絶対に避けることはできません。
明鏡塾で学ぶようになりこの問題に向き合えるようになりました。
具体的には"目できく"というワークです。
目を見る道具以外に使うという斬新な教えです。
日々の治療において歌を聴く時と同じように患者を捉えてます。
そして患者は聞いてもらえていることを無意識的に感じて双方が通じた状態になれば、初めて言葉がでてくるのだと思います。
私の感覚としては患者の話を聞いている時に違和感や煩わしさがなければ上手く通じているのだと思っています。
これが正しいのかわかりませんが、今後はもっと具体的に感じられると信じています。
痛みも身体からの言葉そのものです。聞いて貰いたいのに誰も聞いてくれないから声を張り上げなければなりません。
だから痛みも更に痛くなるでしょう。
逆に聞いてもらえた時、もうわざわざ声を出さなくてよくなります。だから痛みも消えるのです。
痛みは単なる電気的作用ではありません。
それは結果に起きる現象であって本質は違います。
本質は自己か他者または外的環境に対する情動であり、その核心にあるは"心"だと思います。
ただ心というものの正体は未だな解明されず、誰も正しくは説明することはできないでしょう。
しかし治療家の私にも人として心があり、実際の治療ではそれらを通わすことで成立しています。
私は心について知らなくても使えればいいのでないかと考えています。
例えばスマートフォンの構造や電子工学の知識がなくても普通に使えるようなことです。
明鏡塾で学び、治療を機械的に考えることから解放されました。
現実の治療とはもっと複雑で途方もなく広く、多様なものですが、それは大きな海に飛び込んで泳ぎ始めた感覚です。
その先にどんな島があるのか、それとも新大陸があるのか、まー嵐や台風もあるでしょうが
今はそれを楽しもうと思えるようにようになりました。
こういった考え方、また違った考え方、とにかく多様な医療従事者が「患者さんを治したい」と集っているのだ。
興味のある人は体験会もあるのでそちらに参加して下さい。