2024年2月24日
明日は「大阪・明鏡塾」11期講座4だ。確実にそれぞれに進化しており、それが柔整師ならでは鍼灸師ならでは、という具合に、「それぞれ」を鮮やかに見せてくれる。 講座が終わると懇親会が毎回行われるが、明日は中止だ。明日は、講座 […]
2024年2月22日
「他人の顔に泥を塗ったらあかんで、顔を潰したら駄目や」これ等は、人間関係や人との信頼関係そのものを現している言葉だ。 これらの言葉は、小さい頃から祖母や母に言われて育った。つまり、常に他人を意識させられていたのだ。 それ […]
2024年2月21日
道場にいる古い生徒でも、何を稽古しているのかがよく分からない人はいくらでもいるから、そんな所がそれぞれに持っている時間が違って来るのだろうと思う。
何を稽古しているのか分からないと見えないのを、もう少し突っこんでいうと、何をしているのか分からない、という事になる。
もちろん、頭では分かっているが、行動がそうなっていないだけだ。
ここをくっつける話は、口が酸っぱくなる程話しているが、殆どの人には「良い話を聞いた」であって、自分の役には立てていないのだ。
2024年2月17日
昨年秋、肺気腫が見つかった。
「で、どう?」なのだが、医師が「この機会に煙草を止めたら良いですよ」と言う。
元から止めるつもりはないのだが、途中中止もええかと思い、その日から煙草を吸っていない。
いずれにしても、私にとってはどうでも良い。
それは、私は吸うのを止めても何も変わらない。
それと、世間一般の何かと一緒にする必要はない。
私は、私だからだ。
2024年2月16日
だが、面白い事に武道に関する事は、日本人よりも通じる。
稽古のアドバイスも一言二言ですむ。
日本人には、それこそ何か商品の紹介をするように説明しなければ通じない。
そういった愚痴は、彼らと稽古をしたり古くはフォーサイスカンパニーのダンサー達と稽古をする事で感じた事だ。
「どうして?」だ。
2024年2月12日
「武禅」をやり出してつくづく思うのが、受講する人の「感情が乏しい」事だ。
私が幾つくらいだったか忘れたが、「感情的になっては駄目」という教育が出て来たのを覚えている。
その時は、大体感情に乏しい日本人が感情的になるな、というのはどういうことか?「へえ~」としか思わなかった。
しかし、よくよく考えると感情を乏しくさせるのは、生きる力を弱める事だと気付いたから「どうして?」と疑問を持った。
きっと、大方の人はそんな疑問を持たなかったのだろう。
今では、些細な事で涙したり、直ぐに「傷ついた」という人が増えて、精神科の先生方がそれこそ過労になるくらいだ。
2024年2月10日
「ノーベンバー・ステップス」から吐き出された琵琶の打撃音は強烈だった。そこに斬り込む尺八の息の鮮烈さは、琵琶以上に空間を切り裂く感じがした。 まるで剃刀だ。 日本刀の切味を知る由も無いが、それよりも間違いなく鋭かった。 […]
2024年2月9日
大阪のワークショップでの質問で「今迄生きて来た中で、今が一番だと思いますが、強いて上げるとしたら何時の時期が良かったですか?」と問われた。 おっしゃるように、何がどうなっていても「今が一番」だ。その時間を対処している私を […]
2024年2月7日
天邪鬼は「皆と同じ」に違和感を感じていたからだ。
その意味で、中学生の頃から「我が道を行く」を歩んでいたのだろうと思う。
天邪鬼だから、常に「皆と同じ」人と衝突しながら76回目の誕生日を迎えた。これからも死ぬまで「我が道」を行くのだろう。
2024年2月4日
2日目は、割と人数が増えていた。今日は最終日なので、もしかしたらもう少し増えるかもしれない。 ワークショップでは、色々な質問を受ける。それは、私にとっては貴重なものだ。 それは、色々な考え方を知る、ということだからだ。 […]