伝統武道
自分を研ぎ澄ます実際的な学びが目的の人にこそ、「日野武道研究所」に来て欲しい。
神田道場の稽古では、年明けから「型」に重きをおいている。 黒帯がやる型を、他の黒帯が見て感じた事、あるいは間違っている事等々の意見を出し合わせる稽古だ。この事で「何を見ているのか」が、第三者に表現される。表現された事で「 […]
武道の稽古の難しさは、自分自身への挑戦だ
もちろん、稽古はスピードを落としゆっくりと行う。
問題は、その「ゆっくりとした動き」を、スピードが出ても同じ具合に出来るのかどうかだ。
そうなると、その「ゆっくり」にスピードを見出さなければならない。
ここが難しいと言えば難しいところだ。
当たっても痛くも無い「ゆっくり」に対して、「痛くも無い」と無意識的に判断して稽古をしていると、スピードを上げると本当に当たるし痛いではすまない。
そんな想像力が、武道の稽古では必要なのだ。
でないと、稽古が違うものになっていく。
基礎稽古と最高級難度の稽古
身体操作に関しては、身体そのものが動きと共に強烈な伸び縮みするようにならなければ駄目だ。
武道の型は、武道に適した身体を作る為に有ると私は考えている。
もちろん、ジャンルにより様々な道具や武器を持つもの、刀や身体の捌き方を教えるもの、こころの持ちようを教えるものもある。
しかし、こころの持ちようを抜けば、現代では無用の長物だ。
気持ちが手段を下支えするが、根本的には「気持ち=私」だと考える方が面倒ではない
よくよく考えると「気持ち」と私を切り離す事は出来ないのだから、「気持ち=私」でもあるという事だ。
神田道場に、ここ数回オランダからアーチストが来ている。 前回は、少し体重移動の基礎の片手両手持ちを教えた。昨日は三角形という考え方を伝えた。で面倒なので、「相手の目をしっかり見て、その方向に動いてみよう」というと、多少は手こずったが出来た。要領を見つけると何度か自力で成功させた。
伝統武道を考え直す。日本書紀や古事記からになってしまった。
日本の伝統武道の達人を探求する、として伊藤一刀斎や柳生石舟斎他を分析し仮説を立てて来たが、腑に落ちない事が残っていた。 それは、現代の達人と呼ばれた故養神館合気道宗家塩田剛三師が残した、「向かってくる敵と友達になる」とい […]
今日はブリュッセルへ
パリ終了。日曜日も100人以上の人が受講してくれた。スイスやドイツからも。もちろん、聞けばもっと色々な国から来てくれているだろう。 ドイツからの空手の人は糸東流だという。香取神道流もいるし柔術もいる。 ドイツの空手家は、 […]